随 想(思いつくまま)

(6/18) 老人よ大志を抱け!
自刻展その後 
 自画像を彫るという営為はいつしか生前葬の発想に及び、それを断念した経緯は先に書いた。(生前葬断念記)
 しかしその後、20枚の自画像を彫る中で、無名人たる自分が自画像を彫って、他人様に見てもらうことにどれだけ意味があるかとい疑問が頭を離れなかった。版画仲間のY氏曰く「全く意味がない。親しい間柄相手にしても、開くからには観賞に値する大作を展示するとかが必要であろう」と。やっぱそうか、そうだよねと頭の中は回転し始める。ハガキ大のチマチマしたものを20枚並べてもしようがない。となると大きな新作に取り組むしかない。未発表のサムホール版が20枚ばかりあるが、迫力がイマイチである。
大作に挑め
 さてモチーフは何にするか。かねてから成蹊大学のけやき並木は終生のモチーフにするだけの美しさを持っていると感じ、いつの日にか作品をものしたいと考えていた。手始めにこれに取り掛かろうか。井の頭公園も良い。知名度からいっても全国区だ。そう考えると今彫っている自画像がなんと陳腐なものに見えることか。この作業は近日中に切り上げ、大作に取り掛かるべきだという内なる声が聞こえる。
毎年開け
 そもそも、たかがハガキ大の作品を20枚作ること自体を、なんと大げさに考えていたことか。もっと大きな事を考えなかったのか。生前葬とか今回限りの一回とか考えずに、これから毎年恒例の展示会を開くという発想はないのか。いや、これから毎年開き給えという声が日増しに大きくなる。
  意識は流動的、良い方向に転じつつある。お釈迦様の掌の上で踊っている毎日である。老人よ大志を抱け!