大団円を目指して


第27話 「理想と欲」



 最近、妙に気分が良い。
 オレが世界と契約し守護者という名の掃除屋と成り果ててから、どのくらいの年月が経ったのかは分からない。
 そもそも、時間軸から外れた“座”に押し込まれた守護者(オレ)には、もはや時間の概念などない。
 だが今のオレは、確かに気分が良かった。
 “(ここ)”には、何も無いというのに。

 まあ、良い。
 どうせ時間に意味はない。
 他に出来る事もないので、オレは暫し思考に耽る。
 思考こそが、唯一この場で許された事なのだから。

 さて、原因は何であろうか。
 妙に気分の良い原因を探る為に、オレは己の記憶を掘り起こす。
 人だった頃の記憶はとうに磨耗し擦り切れ思い起こす事など不可能だが、実際に今気分が良いからには、原因はおそらく最近の事なのだろう。
 最近の事柄ならば、思い出すのも問題はない。

 ふむ、さては最近何かしらで呼び出されたオレに、何かがあったのだろうか。
 他人事のように言っているが、時たま起こる世界の危機に守護者として派遣される時のオレには、自我も自由意志もなく、その時のオレは、ただ原因に繋がる全てを殲滅するだけの存在でしかない。
 全てが終わり座に戻るその時、初めて意思が蘇る。
 座に戻るまでの、そのほんのわずかな間に、何かがあったという事だろうか。
 なかなかに興味が募る。
 そもそもこの場で思索する事自体が、本当に、思い出せない程に久しぶりの事なのだ。
 とはいうものの、期待はするまい。
 所詮オレは、ただの掃除屋でしかないのだから。

 ……驚いた。
 ごく最近、オレはあの(・・)聖杯戦争にサーヴァントとして召喚されたようだ。
 しかも同じ時間軸に、三度。いや、もっとか?
 ……まさか。
 まさかとは思うが、もしや、オレの願いが叶ったのだろうか。
 そんな空しい期待を、愚かにもついしてしまう。
 未だ自分が英霊の座の末席に存在している事自体、オレの願いが叶っていない証だというのに。

 人間(みずから)の欲望によって生み出された破滅を消去するだけの、単なる掃除屋。
 それが、オレだ。
 オレのしている事など、ドブさらいに等しい。
 守護者とは、誰かを救うのではなく、救われなかった人々の存在を無かった事にするだけのモノに過ぎない。

 オレが成りたかったモノは、断じてそんな存在ではない。

 故に、オレの願いは自身の消去。
 その一点に尽きる。
 されど、守護者となったモノに消滅はあり得ない。
 それはもとより『無』、この世界の輪に無いモノを殺したところで意味はない。
 この輪から抜け出す術など、もはや無いのだ。

 ――――そう。たった一つの例外を除いて。

 英雄となる筈の人間を、英雄になる前に殺してしまえば、その英雄は誕生しない。
 自らの手で衛宮士郎(オレ)を殺す。
 それだけが守護者と成り果てたオレの、唯一つの願望だ。

 その機会だけを待ち続けた。
 果てしなくゼロに近い確率だ。
 だがそれに賭けた。
 そう思わなければ自身を許容できなかった。
 ただその時だけを希望にして、オレは守護者などというモノを続けてきた。

 とはいえ、その万が一の可能性でしかない願いが仮に叶ったとしても、未だに自分がこの座にいるという事は……
 ふん、世界は矛盾を飲み干したか。
 オレは既に守護者として存在している。
 ならば、今になって英雄となる前のエミヤシロウを消滅させたところで、オレ自身は消えはしないのだろう。
 だが可能性のない話ではなかった。
 過去の改竄だけでは通じないだろうが、それが自身の手によるモノならば矛盾は大きくなる。
 歪みが大きければ、或いは――――ここで、エミヤという英雄は消滅する。
 筈だったのだが……

 守護者となった自分が、守護者になる前の自分を殺し、その矛盾で今の自分が消える事こそ、己の真の願い。
 しかし、どうやらそれは叶わなかったようだ。
 ……まあ、良い。
 どうしようもない。
 仕方ない。
 諦めるしかないさ。
 所詮は、ただの八つ当たりに過ぎないのだから。
 下らぬ理想の果てに道化となり果てる、衛宮士郎という、かつてのオレへの。

 結局オレは、今も昔も、そしてこれからも、救うべき者を殺す事しか出来ない、ただの掃除屋を続けるしかないのだろう。
 ……いや、違う。
 何だ、この記憶は。

 ――――答えは得た。

 なん、だと?
 『記録』はあれど、今のオレには思い返す当時の『記憶』が摩滅し存在すらしない、第五次聖杯戦争。
 自分がマスターとして参加したそれに、オレはサーヴァントとして召喚されたようだ。
 オレのマスターである、この女は誰だ?
 いや、そんな事は良い。
 それよりも、

 ――――大丈夫だよ■■。オレも、これから頑張っていくから。

 答えを得た、だと?
 何だ、この茶番は。
 得た答えなど、結局は最初と何も変わりはない(・・・・・・・・・・・)
 なのに、これからも頑張れるだと?
 なんと馬鹿な事を。
 頑張れなかったから、こうなったのだ。
 それを誰よりも識っているオレが、一体何をほざいているのか。

 オレだって、頑張った。
 頑張ったのだ。
 凡人だけど頑張って。
 頑張って頑張って、努力して。
 凡人だから、努力する事しか出来なくて。
 血を流しながら成し得た奇蹟は、確かにあった。あったのだ。
 それは否定しない。
 だが、どんなに頑張っても、犠牲は出た。
 決して無くなりはしなかったのだ。

 ならば、もっと強くなれば良い。
 そう、思った事もある。
 だが、強くなればなる程、理解した。
 どんなに強くなろうと、犠牲は無くならない事を。
 強くなれば、相応に視点は高くなり、視野は広がる。
 視点が高くなればなる程、視野が広がれば広がる程、今まで気付かなかったモノが見えて来る。
 これまで気付かなかった、見逃してきた、犠牲となったモノが見えて来る。
 何の事はない。
 今までのオレには、それが見えていなかっただけの事なのだ。

 どれ程に強くなろうと。
 例え世界と契約を結ぼうと。
 守護者と成り、人では成し得ない力を手に入れようと。
 決して、犠牲は無くならない。

 ――――いいかい、正義の味方に助けられるのはね、正義の味方が助けたモノだけなんだよ。当たり前の事だけど、これが正義の味方の定義なんだ。

 記憶が磨耗し擦り切れた中、それでも未だにこびり付く誰かの言葉が思い浮かぶ。
 人だった頃のオレは、その言葉を否定してきた。
 世界と契約を結び守護者と成っても、必死になって否定してきた。
 だが、自らの手で滅びようとする人間の業を目の当たりにして。
 それを、ゴミのように焼き払う存在に成り果て、延々と“人間の自滅”を見せつけられて。
 人間がしでかした不始末の処理を押し付けられ続け、それを虚しいと思い人の世を侮蔑せずにはいられなくなって。
 守った筈の理想(モノ)に裏切られたと、裏切られ続けたのだと理解して。
 そして、自分がただの掃除屋である事を悟り、ようやく理解し得たのだ。

 犠牲が無くなる事など、断じてあり得ないと。

 それはオレが生涯を掛け……否、死んだ後も“守護者”として使役され続け、ようやく理解し呑み込んだ真理。
 その真理を、かつてのオレは否定する。
 何も知らないかつてのオレが、今のオレを否定する。

 ――――俺は後悔なんてしないぞ。どんな事になったって後悔だけはしない。だから、絶対に、おまえの事も認めない。

 なんと愚かな。

 ――――おまえが俺の理想だっていうんなら、そんな間違った理想は、俺自身の手でたたき出す。

 それは、何も知らない愚者の戯言だった。
 オレには解る。
 そうやってかつてのオレは生きてきたのだろう。
 それを正しいと信じてここまでやって来たのだろう。
 それはやせ我慢の連続で、どうしようもなく歪で。
 得てきた物より、落とした物の方が多くて。
 だからこそ。
 その、落としてきた物の為にも、衛宮士郎は退けないのだろう。

 つまりは、単なる意地でしかない。

 正義の味方。
 それは、誰一人傷つける事のない誰か。
 どのような災厄が起きようと退かず、あらゆる人を平等に救えるだろう、衛宮士郎が望んだ誰か。
 そんな概念でしか存在し得ない誰かを目指している小僧が、目指しているだけの何も成し得ていない小僧が、恥ずかしげもなく、がなり立てている。



 ――――結局は得た答えなど、単に初心を思い出しただけに過ぎなかった。



 オレとて後悔しないと思った。
 いや、オレがオレの理想を得ていたのなら、確かに後悔などする事はなかっただろう。
 だが、守護者は正義の味方ではなかった。
 守護者は、人を守る者ではなかった。
 アレは、ただの掃除屋。
 オレが望んでいた英雄などでは、断じてない。
 故にこいつのほざく事など、所詮は世間知らずの小僧が喚く、ただの戯言でしかない。
 のだが――――



 ――――今の私は、それでも確かに気分が良かった。



 ……成る程。
 初心を思い出すというのも、馬鹿には出来ぬという事だろう。
 さてさて。
 こんな事を今更ながらに思うとは。
 いやはや、自分自身に呆れてしまう。
 まさか、おぼろげにしか覚えていない過去の自分に、未熟でしかないかつての自分自身の言葉に感じ入るとは。
 ふつふつと興味が涌き出してくるのを自覚する。
 そう、あの頃の自分を新たに識る(・・・・・)のも悪くはないと思った。

 守護者には自由意思などなく、ただ“力”として扱われる。
 そして守護者はあらゆる時代に呼び出され、人間にとって破滅的な現象を排除した後、この世から消滅する。
 だが自意識がなくともその時体験した『記憶』は、“座”に居る本体の私に全て『記録』される。
 言うなれば本と同じだ。
 一度呼び出される度に、その歴史の本が家に送られてくる。
 出かけた筈の自分は家にいて、送られてきた本を見るだけの存在だ。
 過去も未来も関係がない。
 私の部屋には初めから全ての『本』がある。
 いずれ自身が成すであろう『未来』の記録も、『過去』の記録も、私に関わる何もかも全てが。
 例外はない。
 厄介なのは、その本がいつ送られてきたものなのか、私自身には判らないという事である。
 ましてやそれは、『記憶』ではなく『記録』に過ぎない。
 どんなに事細かく書かれていようと、体験やそれに伴う感情が付随しなければ実感など涌かず、所詮は他人事。
 とても、自分の事とは思えない。
 己の観察日記を読んだところで面白みは何もなく、ましてや過去の自分を消し去りたい私にとっては、言わずもがなだ。
 事実、読み返した事など一度もない。
 ……が、こんな気分になった時くらいは、読み返してみるのも悪くないだろう。
 どうせ、時間に意味はない。

 私は静かにページをめくった。





 いや、何と言うか……
 ちょうど今、己に関する過去の大体のところを読み終えたのだが、今の私は、正直情けない気持ちでいっぱいだった。
 興味深い内容だったのは確かだが、気分が更に良くなるどころの話ではなかった。

 歪な理想を追い求め続けた、人だった頃の自分。
 大切なものを全て置き去りにして、壊れた自覚もなくただ前だけを見ていた自分。
 置き去りにした事すら気付いていないのだから、情けなさを通り越し、これではもはや呆れるしかない。
 理想を目指すのは結構だが、まさかここまで周りが見えていなかったとは……
 実に苦々しい限りである。
 もう少し、何とかならなかったものだろうか。
 かつての自分を、思い出すのではなく改めて知った今、そんな事をつい思う。
 そして、自覚する。
 これは、欲だと。
 だが夢も理想も、言い方を変えれば全ては欲。
 ならば、己の欲に従おうとも問題はなかろう。

 私が呼び出されるのは主に掃除屋としてだが、極まれにサーヴァントとして呼び出される事もある。
 事実、私はサーヴァントとして召喚されていた。
 ならば、待つのも悪くはない。
 いや、是非にも待とうではないか。
 聖杯を争う戦いに、サーヴァントとして再び呼び出される事を。

 新たに生まれた私の欲は、聖杯戦争にサーヴァントとして召喚される事。
 そして、“受肉”する事。
 守護者として呼び出された時には自由意思などなく、ただ“力”として扱われる。
 だが、サーヴァントとして呼び出された時は、話は別だ。
 マスターという邪魔者を背負う事になるが、少なくとも己の意思だけは持つ事が出来る。
 つまりは聖杯戦争を勝ち抜き受肉出来れば、たかだか百年足らずの事ではあるが、それでも確かに己の意思で、正義の味方“もどき”くらいには成れるかもしれないのだ。

 今の私にとって、それは耐え難い魅力があった。

 例えば、私が守護者と成らずに済んだ世界もあったと、私は知った。
 その世界では、私のマスターとなった女性とかつての私が互いに愛し合い結ばれて、結果私は守護者への道を歩まなかった。
 誰よりも魔術師でありながら、決して魔術師には成り切れなかった彼女。
 私が掃除屋と成り下がらずに済んだのも、彼女の恋人として弟子として時計塔について行ったからであり、つまりは間違いなく彼女のお陰である。
 彼女は、とある女性とよく喧嘩をしており、巻き込まる度に当時の私は大変な思いをしたようだが、そんな苦労は些細な事だろう。

 サーヴァントとして、複数回、召喚された事実があった。
 ならば、新たに召喚される事も、十分あり得る。
 無論、冬木の聖杯が汚染されているのは承知の上だが、汚染される前に呼び出される可能性もないではない。
 この際、己がマスターとして参加したあの聖杯戦争に拘る必要は、全くないのだ。

 自らの手で衛宮士郎(オレ)を殺す為に、果てしなくゼロに近い確率を叶える為に、永劫ともいえる時を待ち続けた私だ。
 永劫の「劫」は、無限の年月を表す。
 例えば、広さ四十里に及ぶ巨大な石の山を、百年に一度天女が舞い降り、その頂を羽衣で撫でたとしよう。
 そうする事によって、固い石山もほんの僅かながら磨り減り、いつかは摩滅する。
 それに掛かる年月より、なお長い時間を表す言葉が「劫」である。

 そうだ。
 それだけの時を待ち続けた私だ。
 ならば、何も問題はない。
 だから、私は待ち続ける。
 願わくば、今の熱き想いが再び消え去る前に、誰かに呼び出されん事を。
 悪しき者ではない、誰かに……

 そして私は召喚された。





 ヨーロッパの北方に位置する、フィンランド共和国。
 森と湖の国と呼ばれるそこは、国土の半分以上を森林が占める。
 そんな数ある森の一つに、魔術的な結界が張られた森があった。
 余人が迷い込む事すら出来ぬ、大規模な結界に包まれた森。
 その奥深くには、そこに相応しいともいえる重厚な人工物がそびえ立っていた。
 それは城だ。
 厚い城壁に囲まれた、時代錯誤ともいえる巨大な城。
 その城の、城主のみが居る事を許される一室に、彼女はいた。
 彼女は、ただ待ち続けている。
 時間は深夜。
 既に、全ての準備は終えている。
 己に相応しい英霊を召喚する為の触媒も。
 日本に渡る為のパスポートやチケットの用意も。
 荷物など細々とした準備もとうに終えており、あとはただ己の手に聖痕が現れるのを待つだけであった。

 本来、その準備は全てが無駄に終わる筈だった。
 その結果、彼女の日本人嫌いに拍車が掛かる事になるのだが、ここに一つの奇跡が起こる。
 呼び出す者と、呼び出される者。
 それぞれの願い、かつ様々な要素が偶然にも合わさり、彼女の願いは叶ったのである。

「――――ッ!?」

 唐突に走る鈍い痛み。
 予兆を感じ、おそるおそると己の右手に視線を移す。
 するとそこには、紛れもない聖痕が刻まれていた。

「フ、フ、フフフフフ……」

 やはり、自分は選ばれた。
 否、選ばれて当然だ。
 この栄光あるエーデルフェルトの現当主である自分が選ばれぬ事など、あり得ない。
 そう、あってはいけない事である。

 それは、彼女にとってはごく当然の事。
 世界の真理であった。
 腹の底から涌きあがるナニかに耐え切れず、彼女は声を上げて笑った。
 大声で笑った。
 笑わずにはいられなかった。

「これが(わたくし)、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの、栄光の始まりですわあッ!」

 誰に言うでもなく、彼女は声高らかに宣言した。

 一しきり笑って気が済んだのか、彼女はコホンと咳払いを一つし席を立つ。
 目指すは工房。
 己のサーヴァントを召喚する為に。
 時間も頃合。

「では始めましょう!」

 溶解した宝石で床にエーデルフェルト家に伝わる召喚陣を描き終えた彼女は、全霊をもって対峙した。

「――――――――Ready(レディ)

 そして彼女は人ではなくなり、ただ一つの神秘を成し得るだけの部品となる。
 全身に満ちる力は、もはや非の打ち所がないほど完全。
 今これからが、己の輝かしい魔術師のキャリアの始まりである。

 そんな自分に相応しいサーヴァントを呼び出す為の触媒は、召喚陣の中央に置かれている。
 方々に、手と金とコネを尽くし手に入れた珠玉の一品。
 それは、古びた盾であった。
 既に朽ち果てたその表面には、何かしらの絵が描かれている。
 擦り切れた絵は、女性らしき人物であるという事しか分からない。
 その女性、名をマリアという。
 そして聖母マリアの絵が描かれたその盾こそが、騎士王の盾プライウェン。
 ブリテンの王アーサーが所持していたといわれる、伝説の盾である。
 そう、ルヴィアの狙うサーヴァントは、伝説の騎士王アーサーその人であった。

「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」

 だが、しかし。
 いかんせん、アーサーは既に他の者に召喚されていた。
 その事をルヴィアが知る由もないが、当然この場にアーサーが召喚される筈もない。
 だがルヴィアは、アーサーが召喚出来なかった場合も考えていた。
 さすがに、既に他のマスターに引き当てられていたなどという考えにまでは及ばないが、何しろ召喚相手はあの伝説の王である。
 人の召喚に、必ずしも応じるとは限らない。
 どれ程の触媒を用意しようとも、肝心の相手が召喚に応じなければ、意味はない。
 英霊の座より相手が応じて、初めて召喚の儀式は成り立つのだ。

 しかし、それでもルヴィアは構わなかった。
 例えアーサーが応じずとも、少なくとも騎士王の関係者が召喚されるだろうと踏んでいたのである。
 騎士王の関係者となれば、それは当然円卓の騎士達であろう。
 湖の騎士ランスロット、忠義の騎士ガウェイン、あるいはトリスタンといった世に名高い騎士を召喚したい。
 ルヴィアは、そんな皮算用をしていた。

 そして彼女は、確かに彼の王の関係者(・・・)を見事に引き当てたのである。

「何というか……騎士のイメージじゃありませんわね」

 後に、己にとって最高のパートナーであったとまでルヴィアに言わしめる、英霊エミヤ。
 その姿を初めて見た彼女の正直な感想が、これであった。





 一方、召喚された彼は非常に驚いていた。
 我知らず、彼女の名を呟く程に。

 ――――ルヴィア。

 口に出す事こそなかったが、それ程に彼は驚いていた。
 まさか、彼女に召喚されるとは思ってもみなかったのである。
 己の記録を読み返したエミヤは、彼女の事をよく識っていた。

「さて、そこの貴方。一応確認しておきますが、貴方が(わたくし)のサーヴァントで宜しくて?」
「……契約によって確かにパスは繋がれたが、君が私のマスターに相応しいかどうかは別だろう。と私は思うのだが、さて、君はどう思うかね?」

 彼のそんな挑発めいた言葉に、ルヴィアは首を傾げる。

「……もしかして、私を挑発していますの?」

 怒った様子もなく、本当に不思議そうに彼女は問うた。
 彼女にしてみれば挑発される覚えなどまるでなく、ましてや初の会話であり、また己にあなどられる要素など何一つないと確信している彼女からしてみれば、首を傾げるしかなかったのである。

「いや、そんなつもりは毛頭ないさ。ただ、この上ないマスターに引き当てられた己の幸運が信じられず、つい饒舌になってしまったようだ」

 実際、エミヤに挑発の意図はない。
 彼女に言った通り、理想のマスターとも言うべき者の一人に召喚された己の幸運に、つい軽口を叩いてしまっただけの事である。
 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。
 彼女もまた、誰よりも魔術師でありながら、決して魔術師には成り切れなかった女性である。

「君が、この程度の冗談で怒り出すような短慮な人間でなく、幸いだよ、お嬢さん」

 肩を竦めながら、そんな事をのたまうエミヤ。
 彼は、自分が調子に乗っている事を自覚する。
 調子に乗り過ぎて良い事が起こった例はなく、気を引き締めねばと自制を心掛けるエミヤであった。

 ところで彼女に召喚されたという事は、それは第五次聖杯戦争のサーヴァントとして召喚されたという事だろう。
 第五次聖杯戦争。
 自分がマスターとして、あるいはサーヴァントとして参加したこの戦争。
 初心を思い出し己の事を改めて識った今、この事に関して彼は後悔に満ちていた。
 戦争の中、自分に出来る事はもっとあった筈だったと。
 しかし、それでも。
 本来取り返しがつかない筈のそれも、今ならそれらの原因その物を潰す事は決して不可能ではない。
 無論、マスターたるルヴィアを勝たせた上でだ。
 彼女がマスターならば、己の願いが叶えられる可能性がある。

 聖杯が汚染されている事は、承知の上。
 だが、己が受肉する事など、言ってしまえばついでの事。
 己の真の願いは、己の意思で以って正義の行いを為す事であり、正義の味方“もどき”となる事である。
 彼女と信頼関係さえ築ければ、それは叶う。
 魔術師としては例外ともいえる、正義感を持った彼女。
 それはあくまで彼女なりのものでしかないが、そんな彼女がマスターならば、例え受肉出来ずとも、彼女のサーヴァントとしてわずかながらの正義を己の意思で為す事が出来る。

 それは、何と素晴らしい事だろう。

 己の理想()が、知らず知らずに浮かび上がる。
 桜は幸せになるべきだ。
 イリヤは幸せになるべきだ。
 セイバーは幸せになるべきだ。
 凛は……まあ、彼女は勝手に幸せになるだろう。
 勿論、私自身が彼女達を幸せにする事は不可能であり、幸せにするのはあくまで彼女ら自身の努力であり、ついでに言えば人である衛宮士郎の仕事だ。
 私は、彼女達の呪いを解く事だけに全力を注げば良い。
 そうすれば、桜はきっと凛が無理矢理にでも幸せにしてくれる事だろう。
 イリヤは、この時代の自分に押し付ければ良い。
 彼女の寿命は、何とでもなる。
 それこそ、この時代の自分に埋め込まれているアヴァロンを彼女に与えれば、まず大丈夫の筈だ。
 アレは、それだけのモノである。

 問題はセイバーだが……残念ながら、彼女に関してはこれといった手段が思い浮かばない。
 だが、衛宮士郎が遠坂凛と結ばれた世界では、彼女は現界を選び共に暮らした事実がある。
 そして、その時の暮らしは彼女にとっても間違いなく幸せだった筈だ。
 ならば、断じて不可能ではない。
 結局は、凛とこの時代の自分任せとなるが、結果さえ出るなら過程はどうでも良い事だ。

 ふと、おかしくなって自嘲する。
 あれ程に自分を殺したかった私が、今更自分を当てにするとは。
 されど、忌避する事ではない。
 未熟でしかなかったこの時代の自分が、捨て去った大切な人達を、幸せに出来るかもしれないのだ。
 それは、本当に素晴らしい事である。

「……貴方、何を考えていますの?」

 一人考え込んでいたエミヤに、ルヴィアが訝しげに問う。
 彼女が怪しむのも、当然といえば当然だ。

「何やら回りくどい事を言ったかと思えば、一人でニヤニヤと」

 怪しい事この上なかった。

「ところで貴方、何故(わたくし)を見て驚いていたのかしら?」
「なに、先にも言った通り、かくも素晴らしきマスターに引き当てられた幸運に、つい驚いてしまっただけの事だよ。私はあまり運が良い方ではないのでね」

 スラスラと理由を並び立てるエミヤだが、実際本当の事だった。

「成る程、などと言うと思いまして?」

 だが、ルヴィアは信じなかった。
 何故なら態度以前に彼は、

「貴方は召喚された時、確かに私の名前を呟きました」

 見知らぬ筈の彼は、自分を知っていたのだから。

「さて、私は特に何も口にはしていなかったように記憶しているが」

 動揺した態度を見せず、エミヤはさらりとシラを切る。
 事実口にした覚えはなく、その事は確信をもって言える。
 驚きをつい口にしてしまう事など、許されない。
 それでも顔には出してしまったようで、己がまだまだ未熟であると自覚するエミヤであった。

「音にはなっていませんでしたが、口は確かに私の名を形取っていました」
「まさか、君は読唇術を嗜んでいるとでも言うのかね?」
「その程度、フィンランド貴族である私にとっては、淑女の嗜みに過ぎませんわ」

 驚く事に、ルヴィアは本当に読唇術を心得ているらしい。

「いや、これは驚きだ。魔術師であり貴族でもある君が、読唇術などという下賎な技を会得しているとは」
「話を逸らすのはお止めなさいな、全く」

 呆れたようにルヴィアは言うと、彼女はビシッとエミヤを指差した。

「とにかく貴方。まずは名前を聞かせなさい。(わたくし)は、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。栄光あるエーデルフェルト家の現党首ですわ」
「……エミヤ。英霊エミヤだ」

 特に隠す意味もないので、エミヤは素直に己の真名を告げた。

「エミヤ……聞いた事のない名前ですわね」
「無名で恐縮だよ」
「何を卑下した物言いを。この私が召喚したサーヴァントですのよ、貴方は。ならば無名であろうとなかろうと、貴方が実力者である事に疑いの余地はありませんわ」

 そして彼女はその豊かな胸を反らし、傲然たる態度で言った。

「何しろ、この(わたくし)のサーヴァントなのですから」

 ほんの少し。
 ほんの少しの間だが、それでも確かに私は呆気に取られた。

「……クックック」

 ついつい笑いが漏れてしまう。
 いや、私は本当に幸運だ。
 理想のマスターに引き当てられたこの幸運に、素直に感謝しようではないか。
 無論、神になどでは全くないが。

「また一人で勝手に笑い出して……」

 そんなエミヤに、ルヴィアはますます疑いを深くする。

「私を知っていた事といい……貴方、なにを隠していますの?」
「さて、特に思い付く事はないが、君は、所詮はサーヴァントでしかない私の何を疑っているのかね?」

 煙に巻くつもりはないが、ついついエミヤは軽口を叩く。
 彼は、先程から調子に乗りっぱなしである。
 浮かれていると言っても良い。
 だが先にも述べたとおり、調子に乗りすぎて良かった例など一つもないのだ。

「……面倒くさいですわね」

 憮然な表情でそんな事を呟くと、ルヴィアは己の右腕を掲げた。
 その意味する事は一つであり、エミヤの顔から血の気が引いた。

「待ちたまえ!」

 慌てた声を上げ、主たる者の愚行を止めようとするサーヴァント。
 だが、全ては遅かった。

「令呪を以って、エミヤに命じます。
 私、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの問いに、嘘偽り、黙秘、それらに類する一切を禁ずると!」

 令呪が確かに発動するのを感じ、エミヤは己の足から力が抜けていくのが分かった。
 あまりの馬鹿馬鹿しさに。
 令呪とは、聖杯戦争の要である。
 サーヴァントを律する、三つの絶対命令権。
 サーヴァント自身でも制御できない、肉体の限界さえ突破させる大魔術の結晶。
 それが、三つの令呪なのだ。
 自分達の能力以上の奇跡を起こす為の、謂わば切り札。
 それを、こんな下らない事に使うとは……
 本来、冷静沈着が常であるエミヤが大声を上げて止めようとする程に、あり得ない事である。
 大きく大きく、息を吐く。
 そして、彼は諦めたように言ったのだった。

「本気か? いや――――正気か?」

 あまりと言えばあまりな言葉だった。

「随分な言葉ですわね」
「この程度、まだマシだろう……いや、まいった。まさか、こんな事に令呪を使われるとは……」

 呆れたように言うエミヤだが、彼のそんな様子を鼻で笑うと、ルヴィアは己に恥じる事など何一つないかのように胸を張って言った。

「かつて、お婆さまは言っていました……サーヴァントと信頼関係を築けないマスターには、敗北あるのみと!」

 誇るように、彼女は朗々と言葉を続ける。

「これは、第三次聖杯戦争にマスターとして参加したお婆さまからの、貴重な教訓です。
 サーヴァントは人に非ず! されど物にも非ず!
 事実、サーヴァントは無論の事、自分の妹とすら信頼関係を築けなかったお婆さまは、敗退しました。
 そして貴方は、先程から私の問いを煙に巻くばかり。これでは信頼関係など築ける筈もありません。
 故に!
 そう! 故に、これは私達が勝利を得る為の、必要経費なのです!!」

 己の行いに何一つ間違いなどないと、堂々とルヴィアは言ってのけた。

「……相変わらず、君は気が短い」

 やれやれと、エミヤは首を振りながら呆れたように言った。
 だが、その眼差しは優しいものだった。

「それはともかく、さて貴方。覚悟は出来ていまして?」
「ふむ、何の事かな?」
「一切合財、貴方の知る全てを、(わたくし)に今すぐ説明なさい!!」



 エミヤは己の知る全てを洗いざらいに吐かされた。
 そして彼女は眩暈にも似た大きな衝撃を受ける事となる。



「う……嘘ですわ」

 手で胸を押さえ、二歩、三歩とよろめくルヴィア。

「残念ながら、今の私は君に嘘を吐けない」
「だ、だからと言って……」

 その様子は、彼女が非常に大きな衝撃を受けた事を物語る。

「諦めたまえ。これは事実だ」
「あ、貴方が……」

 ルヴィアは、エミヤの目を見れない。
 見る事が出来ない。
 それだけの事を、彼に聞かされたのである。



「貴方が私の……
初めての相手だったなんてッ!!?」



 ルヴィアは絶叫した。
 エミヤの知る大体のところを聞いた時。
 彼女が、生まれて初めてと言っても決して大袈裟でない衝撃を受けた事柄。
 それは、エミヤがマスターとしてこの聖杯戦争に参加していた事ではなかった。
 そのサーヴァントが、アーサー王だった事でもなかった。
 第五次聖杯戦争のいくつもの概要を知っている事ですらなかった。
 生前時の彼が、自分の貴重な友人だった事であり。
 自分の処女を捧げた相手が、目の前の男であるという事実であった。

「認めません……私は
決して認めませんわあ――――ッ!!

 そんなこんなと、この後も何やかんやで色々と揉めはしたものの、なにはともあれ翌日二人は無事日本に発つのであった。



続く
2009/10/22
By いんちょ


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