大団円を目指して


第18話 「殺意」



「俺、ちょっと学校に電話してくる。暫く休むって」

 何やかんやでキャスターから魔術を教えて貰える事になった士郎が、そう言って居間を後にしようとした時、後ろから「もうしたよ」という声が掛かった。

「え?」
「だから、もうとっくに学校へは電話したってば。わたしと士郎は、暫くの間学校をお休みしますって」
「おい、なに勝手な事……!?」
「あれ、駄目だった?」
「……駄目じゃないけど」
「でしょ?」

 感謝してよね〜と明るい笑顔で答える大河に対し、士郎は何処か納得のいかない様子だ。
 この世は、理不尽。

「まあ良いか。ところで、何か言われたか?」
「別に何も。家庭の事情って言ったら、なんか納得されちゃった」
「……そうか」

 忘れがちだが、大河はヤクザの一人娘。
 そりゃそうだよなあと、士郎が思ったとか思わなかったとか。

「はいはい、無駄話はそこまでよ。それより坊や、工房に案内なさい。そこを見れば、坊やの実力も含めて大体の事は分かるから」

 パンパンと手を叩きながら腰を上げるキャスター。
 彼女は、その気になっていた。

「ところで一応師となる訳だし、工房に他の魔術師は入れられないなんて事、坊やなら勿論言わないわよねえ?」
「言わないけど、工房なんて持ってないぞ、俺」
「――――は?」

 キャスターの動きが、ピタリと止まった。

「坊や……もう一度、聞いても良いかしら?」

 ぎこちない動きで彼女は士郎に視線を向け、問うた。
 その眼差しは不安げに揺れ、彼女の心の内を雄弁に物語っている。

 今、坊やは何と言った?
 いやいや、自分の聞き間違いだろう。
 だって、あり得ないもの。
 魔術師が工房を持ってないなんて、あり得ないもの。
 そう、単なる些細な聞き間違いだ。

 なんて感じで。
 しかし、この世は常に理不尽。

「だから工房を持っていないんだ、俺は」
「う、嘘……」

 無情とも言えるその答えに、キャスターは絶句した。
 露わなままのその顔の、両目が大きく見開かれている。
 どうやら士郎は、言ってはいけない事を口にしたようだ。

「あ、あり得ないわ……だったら貴方! 半人前どころか、素人じゃない!」
「そんな事ないぞ。一応、強化の魔術ぐらいは使える」
「強化!? そんな半端な魔術が何になるのよ!!
 ……ちょっと待って。
 まさか、それ以外の魔術は使えない、なんて事は、いくら坊やでも言わないわよね?」

 キャスターの口調は怒りを通り越し、懇願するような響きになっていた。
 そんな彼女に対し、士郎は実に奮った答えを返す。

「……使えなくはない」

 最悪に近い答えだった。

「し、信じられない……よくそれで、マスターになろうだなんて…………」

 己の常識ではあり得ない答えに、キャスターはクラリと気が遠くなった。
 そして、唐突に理解した。
 士郎が、魔術師では無い事を。
 半人前と言う前に。
 身の程知らずと言う前に。
 彼は、魔術師では無かったのだ。

「そう、そういう事だったのね……坊や、貴方の事がようやく解って来たわ」

 魔術師の蔑称、そのままに。
 魔術を使う、只それだけの男。
 つまりは、そういう事だった。
 そう考えれば、今までの士郎の魔術師らしからぬ態度も頷けるというものだ。
 何の慰めにもならないが。

「全く、冗談じゃないわよ……」

 ガックリと肩を落としたキャスターは、暗たんたる気分になった。
 こんな素人に、キャスターであるこの自分が魔術を教えなければならないとは。
 落胆とは、正にこの事だ。
 しかしまあ、約束してしまったものは仕方がない。
 約束は、なるべく守るものである。
 破る事に、躊躇いはこれっぽちも無いが。
 そんな訳で、キャスターは先程の約束通り、士郎に魔術を教える事にした。
 ちなみにマスターとしては、最初から当てにしていないので失望以前の問題だったりする。

「ねえねえ、士郎。土蔵は違うの?」
「土蔵? 土蔵って何よ?」
「ああ、庭の隅にあるガラクタ置き場というか……まあ、俺が魔術の鍛錬をする時の場所なんだけど」
「あるんじゃない!!」
「いや、アレを工房なんて言ったら、キャスターは本気で怒ると思うぞ」
「何でも良いから、とにかくその場所に案内なさい!!」

 もう、嫌!
 癇癪を起こしながら、キャスターが内心そんな事を思ったりとか思わなかったりとか。





 肩を落として歩くキャスターを連れて、士郎達は土蔵に向かった。
 無論わくわく顔の大河も、漏れなくオマケで付いて来た。
 比べてキャスターの顔は、とてもかったるそうである。
 無理ないが。
 土蔵の前に立った士郎が、無闇に重い扉をよいしょと開く。
 錆びた蝶番が音を立て、日の光が土蔵の中に差し込んだ。

「ふーん……」

 中に足を踏み入れたキャスターが、珍しいものを見るように中を見回す。
 土蔵に仕舞われたものは、大半が使えなくなった日用品だ。
 残りは修理中のものであったり、修練の失敗作ともいえるガラクタである。

「あら、これは……」

 棚に置いてあったガラクタの一つを、何気に手に取るキャスター。
 瞬間、顔が強張った。
 纏う空気が、ガラリと変わった。

「……ねえ、坊や」

 短い間の後。
 彼女の問い掛けた言葉は、実に硬い物だった。
 しかし、士郎は気付かない。

「貴方、魔術は強化しか(・・)使えなかったのよね?」
「まあ、そんな感じだけど」
「本当に?」
「ああ」
「――――そう」

 そう言ってキャスターは、士郎からは見えない角度で笑みを浮かべた。
 酷薄な笑みだった。





「こら」

 その時ポコリと、大河が士郎の頭を叩いた。

「何すんだよ、藤ねえ?」
「ごめんね、キャスターさん。士郎は嘘吐いてるんじゃないの。自分で気付いてないだけだから」
「だから、何の事だよ?」
「何が変なのかわたしには分からないけど、士郎に教えて上げてくれないかな。士郎は気が付いていないだけだから」

 士郎を庇う大河の言葉は、ある種の必死さが感じられた。
 対して士郎はのんきなままで、キャスターの雰囲気の変化に全く気付いていなかった。
 暫く二人を見比べた後、キャスターが深い溜め息を吐く。
 馬鹿馬鹿しくなったのかもしれない。

「……坊や、これは何?」
「何って、俺が作った失敗作って言うか、ガラクタだけど」
「――――はあ?」

 何なのだろう、この反応は。
 こんなあり得ないモノを無造作に転がしておいて、何を考えているのだ、この男は。

「坊や、もう一度だけ聞いてあげるわ……コレは、何?」
「だから、只の失敗……」

 ぞわりと怖気が立った。
 物凄い目で睨まれていた。

「まさかとは思うけど……コレが何なのか、貴方は解っていない訳?」

 憎しみさえ籠もった声で。
 キャスターは、そんな言葉を吐き捨てる。

「ちょ、ちょっとホラ……キャスターさんが怒ってるじゃない。何とか言いなさいよ、士郎」
「いや、何とかって言われても……」

 声を潜めた大河が横から士郎を肘で小突くが、士郎は戸惑うだけだった。
 キャスターが何やら本気で怒っているのはさすがに理解したが、何故そんな目で睨まれているのかが全く理解出来ないのだ。
 だから士郎は、戸惑いながらも素直に疑問を口にする。

「え〜っと、キャスターは何をそんなに怒っているんだ?」
「何を……ですって?」

 士郎の問いに、キャスターは静かに激高した。
 後先が考えられなくなる程に激しく。
 そしてその手に魔力が渦巻き――――



「こんの馬鹿チンがあ――――ッ!!」



 ――――塊となった時、大河が士郎の頭をぶん殴った。
 もう、これ以上ないくらいに思いっきり。
 殴られた士郎が頭を抱え、声にならない声を上げながら地面をのた打ち回っている。
 星が見えたどころの痛みではないのだろう。
 スター。

「ふう、危ないところだったわ……」

 そんな士郎を他所に、汗ばむ額を袖で拭う大河。
 一仕事を終えた後のような、そんな感じのイイ顔だった。

「ってェな畜生、本気で痛いぞ! 何しやがんだ、この馬鹿トラッ!!」
「シャレになんないからに決まってんでしょお! どうして士郎はそうなのよお! 士郎の馬鹿チン、大馬鹿チンチーン!!」
「年頃の娘がチンチン言ってんじゃねえーッ!!」

 怒り心頭の筈のキャスターを完全に無視して、二人はぎゃあぎゃあと喚き始めた。
 そんな二人の醜い様を、傍から眺めるキャスター。
 というか、眺める事しか出来ないキャスター。
 このやり場のない怒りは、どうすれば良いのだろう。

 彼女は、とてもやる瀬無かった。

 暫し迷うキャスターであったが、やがて深い深い溜め息を吐く。
 本気で馬鹿馬鹿しくなったのかもしれない。
 取り合えず、この編み上げた魔力はどうしよう。
 ようやくここまで溜めたというのに、全てがパァ。
 実に気が滅入る。
 二人にぶつければ少しは気が晴れるだろうか。
 などと危ない事をキャスターが考えていると、いきなり士郎が振り向いた。
 キャスターの尋常でない魔力の高まりに、今更ながらも気が付いたのである。

「ちょっと待てキャスター! 何だ、その冗談じゃ済まない魔力の塊は!」
「ん? 坊や達にぶつけたら、面白いかなって」
「死ぬだろ、普通!」
「え!? 達って、わたしも!?」
「良いじゃない、別に。正直、坊やの脳髄を引きずり出したいくらいだもの。ええ、もう本気で」
「何でさ! 俺、殺される覚え無いぞ!!」
「ねえねえ、キャスターさん! わたしもわたしも!?」
「……まだそんな事を言うのね、坊やは」
「うわ! 魔力が更に高まってるし!」
「ハイ、キャスターさん! 悪いのは全部士郎で、わたしは関係ないと思いまッス!」

 大河が、士郎を裏切った。

「う、裏切ったな、藤ねえッ!!?」
「だってお姉ちゃん、まだ死にたくないし〜」
「俺だって、まだ死にたくないぞ! っていうか、これからだって死にたくねえッ!!」
「ふふん! おバカな士郎は一人で逝っちゃえ〜ッ!」
「ふざけんなッ! こうなったら絶対藤ねえも道連れにしてやるからなあッ!!」

 命の危機も何処吹く風か。
 銘々と好き勝手な事をのたまいながら、二人は再び騒ぎ始めた。

「……」

 一人またまた置いてきぼりにされた、キャスター。
 彼女は、激しく頭痛を感じた。
 いい加減、話を進ませたいとも思った。
 だから黙れと、呟くように言った。
 すると、ピタリと止む喧騒。
 間抜けながらもピリピリとした緊張感が、辺りを包む。

「……取り合えず、坊や」

 暫しの間の後。
 言葉を選んで、キャスターは言った。

「私の質問に、正直に、正確に、余すところなく答えなさい」
「だから、俺は別に嘘は……」
「良いわね」
「おう、何でも聞いてくれ!」
「全く……で、最初の話に戻るんだけど、コレは何?」
「だから単なる失敗作……なんですけど」
「……」
「いや、嘘じゃないぞ」
「……確認するけど、坊やが創ったのよね?」
「ああ」

 ――――ああ、じゃないでしょッ!

 心の中でキャスターは大いにツッコむが、話が進まないので声には出さなかった。
 手がプルプルと震えているが。

「それで、コレはどうやって創ったの?」
「練習で」

 ――――こ、この男……ッ!

 わざとじゃないかと思えるくらいに的を外した士郎の答え。
 その答えに逆上しかけたキャスターだったが、彼女は全力で気を静める。
 食い縛った歯がギシリと鳴ったが。

「……そうじゃなくて、何の魔術で創ったのかを聞いているのよ。強化の魔術じゃ創れないでしょ、こんなの」
「え〜っと、何だっけ……あ、そうそう、投影だ」
「魔術は強化しか、使えないんじゃなかったの?」
「いや、魔術っていうか、気分転換に強化の基礎を確認しただけだぞ。単なる練習だ」
「……自分が何を言っているのか、貴方は理解しているのかしら?」
「おう」

 ――――おう、じゃないわよッ!!

 キャスターは、懸命に激情を抑えている。
 全てを聞くまで殺す訳にはいかないと自分に言い聞かせながら、必死に抑え込んでいる。

「……コレ、随分と前に創ったんでしょう? ホコリが積もっていたもの」
「そうだな、何年前だったけ?」

 ――――な、何年って……

 あり得ない答えの連続に、キャスターは気が変になりそうになった。
 投影魔術が使えるのは、良い。
 あんな使えない魔術を使う者が未だにいたのかとも思うが、それは良い。
 しかし、あり得ない。
 投影とは、物を複製する魔術。
 己がイメージした物を、己の魔力を以って全てを構成する魔術。
 そして魔力とは使い捨て。
 当然その魔力で作られた物は、一日と持たずに消滅する。
 所詮は”架空の物”なのだから。

 それが、世の理である。

 だというのに、これは何だ?
 ”現実を侵食”し、”現実の物”として確固に存在するコレは何だ?
 ”世界(げんじつ)”とは、そんなに甘い物ではない。
 故に、あり得ない。
 あってたまるかと、心から言いたい。

 動転し困惑し混乱するキャスターだったが、そんな彼女の葛藤に気付かない士郎は、トドメとも言える言葉を知らずに言ってのけてしまう。

「でもさ」
「……何よ?」
「こんなの簡単だぞ」

 キャスターは、再び激高した。
 身も蓋も無く言えば、キレた。
 こう、ブチッと。

「フ……フフ……フフフフフ……」

 俯いたまま、不気味な笑い声を上げるキャスター。
 そして、ぽつりと呟く。





「ああ……殺したぁい」





 激情が思わずこぼれ出たような、そんなリアルな呟きだった。
 その冗談ではとても済みそうにない言葉に、士郎と大河は大粒の汗をたらりと流す。

「え〜っと……どうして、そうなるんでしょうか?」
「……当然じゃない。そんなモノ見せられて、殺意の湧かない魔術師なんて、いないもの」

 俯いていたキャスターが、ゆっくりと顔を上げた。
 その視線は敵意に満ち満ちており、それだけで人が殺せるのではないかと思わせるものだった。
 それでいて笑顔なところが、また恐ろしい。

「ええ、もう、すっごく殺したい……
 そうね、脳髄を引きずり出して、脊髄は投影用の魔杖にしましょう。そうよ、脳は溶液に浸して保存すれば……」
「ハイ、キャスターさん! とにかく一度やってみるってのはどうでしょうかッ!!?」

 ブツブツと生の感情そのままを吐き出すキャスターの言葉を、大河がビシッと全身で挙手をするようにして遮った。
 マジ怖いから。

「そ、そうだな! とにかく一度やってみれば誤解も解けるよな!」
「そうそう! よく分かんないけど、まずはやってみなきゃだよね!」
「よし! 準備するから、ちょっと待っててくれ!」

 そう言って士郎は勢いよく地面に座り込み、結跏趺坐の姿勢をとる。
 そして呼吸を整え、頭の中を出来るだけ白紙にする。
 今までの成功率や昨日から妙に調子が良い事なども、一切考えない。
 キャスターの殺意も、今だけは頑張って忘れる。

「――――同調(トレース)開始(オン)

 呪文という名の自己暗示を掛け、士郎は意識の全てを内界に向けた。
 そんな士郎を、怒りに震えていながらも冷徹な視線で見下ろすキャスター。

 いったい何をするのやら。
 まあ、こんなあり得ないモノを創るのだ。
 何かしら準備をするのは当然だろうが、さてさて。

 士郎が何をするのかを見極めるべく、キャスターは目を凝らして観察する。
 どんな些細な出来事も、見逃す事の無いように。
 そうしている内に、彼女は士郎が何をやっているのかに気付いた。
 気付いて、唖然とした。

 何をやっているのだ、この坊やは。

 士郎は、魔術回路を生成していた。
 半人前であろうとなかろうと、既に魔術師である者が改めて魔術回路を作る事などあり得ない。
 それは、例えていうなら奈落の上に張られた板を渡る行為だから。
 細く薄く頼りない板。
 一歩踏み外せば、間違いなく命を落とす。
 だというのに、士郎は魔術回路を一から作り成している。

 馬鹿じゃないの、この男!

 心の中で悪態を吐きながらも、キャスターの顔からは完全に血の気が引いていた。

 「ねえねえ士郎、何やってむぐぅ」

 士郎の行為の意味が理解出来ず話し掛けようとした大河の口を、キャスターが慌てて押さ込む。
 キャスターが慌てるのも、当然といえば当然だ。
 いま意識を乱せば、士郎は確実に死ぬのだから。
 キャスターの切迫した雰囲気に押された大河は、口を塞がれたまま暴れる事なく大人しく士郎を見守っている。
 そして短くはない時間が過ぎ、

「――――投影(トレース)開始(オン)

 士郎はあっけなく投影した。
 ガラクタを。

「フゥ、これで良いか?」
「……良い訳ないでしょ」
「むぎゃ?」

 キャスターは大河の口を塞いだまま、疲れたように言った。
 本当に彼女は疲れていた。

「頭が痛いわ、全く…………貴方の師は、何を考えていたのかしら」
「む……確かに俺は半人前以下だろうけど、親父の悪口はよしてくれ。才能がないのは俺の責任なんだから、親父は関係ないだろ」
「ぷっはー。そうだ、そうだー。切嗣さんは悪くないぞー。悪いのは全部士郎だぞー」
「……あのねえ、大河。坊やは今、死ぬかもしれなかったのよ」
「え?」

 いきなり出てきた死という言葉に、大河は耳を疑った。

「だから、坊やは今、一つ間違えば死んでいてもおかしくはなかったの」
「え、え? ……嘘」

 そして、戸惑った。

「嘘じゃないわよ。それより坊や、私は事実を言っているに過ぎないわ。実際、一から魔術回路を作るなんて馬鹿げた事を、坊やはやっているじゃない」
「それの何処がおかしいんだよ?」
「……そう言うと思ったわよ」

 キャスターは、心から嘆息する。

「普通魔術師はね、魔術を使う度に一々魔術回路を一から作ったりしないの」
「そうなのか?」
「そうなのよ。一度作ればスイッチを切り替えるだけで済むもの。スイッチがあってこその魔術師だし、そもそも魔術刻印だってあるじゃない。何で……」
「魔術刻印?」
「……いくら何でも、刻印を知らないだなんて言わせないわよ」
「いや、親が子供に譲るっていう秘伝の話だろ。さすがにそれ位は知っている。俺は無いから、どうもピンとこないけど」
「……何ですって?」
「魔術刻印は無いんだ、俺。親父は持ってたみたいだけど、譲られはしなかった」
「そんな訳ないわ!? 魔術師が子に刻印を受け継がせないだなんて、あり得ないわよ、絶対に!!」
「俺は養子だからな。あれって血が繋がっていないと譲れないんだろ、確か」

 士郎の非常識さにはこれまで何度も驚かされ、いい加減慣れて来た筈のキャスターだったが、今の答えに彼女は再度驚かされる事となる。
 そして大きく息を呑んだかと思うと、

「――――初代」

 と呟いた。

「この時代に、嘘……いえ、初代というだけなら……肝心の回路の数は…………」

 自分の世界に入り込み、ボソボソと呟くキャスター。
 そんな彼女をどうしたものかと士郎が考えていると、

「ねえ、士郎」

 大河が、士郎の名を呼んだ。
 俯く彼女の表情は、見えない。

「お姉ちゃんさ、よく分かんないんだけどさ……士郎が毎晩この土蔵でやってた事って……死ぬかもしれない事だったの?」

 誤魔化しは許されない。
 そんな気がした。

「……俺がやっていたのは、魔術の鍛錬だ」
「それで?」
「魔術の、鍛錬は……」
「当然、死ぬ可能性はあったわよ」

 自分の世界に没頭していた筈のキャスターが、士郎に代わって横から答える。
 妙に楽しげに。

「いえ、正確に言うなら可能性じゃないわね。とっくに死んでいてもおかしくないのよ。特に坊やがやっていた事はね。ところで単なる好奇心から聞くんだけど、どの位の間こんな馬鹿な事をやっていたのかしら?」
「……」
「別に答えなくても私は困らないけど、それじゃ治まらない人がここにいるんじゃない?」

 やに下がった笑みを浮かべながら、キャスターは言った。

「……八年だ」
「ご、八年って…………成る程、三千日近くもねえ。実際に死に掛けたのも、一度や二度じゃ……」
「キャスターさん」

 キャスターの嬉々とした言葉を、俯いたままの大河が遮る。
 彼女には似合わない、か細い声で。

「士郎は今、死んでもおかしくなかったんだよね」
「ええ、そうよ」
「ホントだよね」
「こんな事で嘘は吐かないわ」
「そっかあ……ねえ、士郎」
「……ああ」
「どうして士郎は、自分を大切にしないかなあ」

 聞いた者の心が締め付けられるような、そんな声音だった。

「情けないなあ……士郎が毎日死に掛けてたなんて、お姉ちゃん全然気付かなかったよお……」

 大河は顔を伏せたまま、肩を震わせそう言った。
 泣いているのだろうか。
 そう思った士郎が何かしら声を掛けようと近寄るが、



「チェストォ――――ッ!!」

「グハァッ!!」



 何故か腰の入ったパンチで豪快にぶっ飛ばされた。
 字の如く宙を飛ぶ士郎。
 これぞ正に一撃必倒。

「ヘッヘ〜ン! 泣いてると思った!? お姉ちゃん、泣いてると思ったあ!?」
「こ、この……ッ!」

 殴られた頬を袖でグイと拭い、すぐさま立ち上がり文句を言おうとする士郎だったが、彼は途中で動きを止めた。
 大河の目に、キラリと光る何かを見たから。

「わたし、ちょっと家に戻るね」

 そして彼女はクルリと背を向け、

「すぐに帰って来るけど、ちょっと取って来る物があるから」

 腰に手を当て顔を見上げて、そのまま片手をヒョイと上げ、ヒラヒラと手を振ったと思えば、

「んじゃあ、行って来る! キャスターさん! ちょっとの間、士郎をヨロシクねえ〜!!」

 つむじ風のように去るのであった。
 置いていかれた士郎は、呆気に取られる事しか出来なかった。
 キャスターは、クスクスと笑っている。
 大河を見送るその視線は、何故か暖かだった。





 大河は自宅に向かって、ひたすらに走っている。
 激しい後悔の念を、胸を渦巻かせながら。

 情けない。
 本当に、情けない。
 士郎が、いつ死んでいてもおかしくなかったなんて。
 そんな事に、全く気付かなかったなんて。
 これじゃあ、お姉ちゃん失格だ。

 大河は、押し潰されそうなまでの自己嫌悪に陥っていた。
 だから自宅に向かって、力の限りに走っている。
 一つの決意を胸にしながら。

 自分は、甘かった。
 士郎は、命懸けで魔術師をしていた。
 本当に、命を掛けていた。
 命を掛けると、口で言うのは簡単だ。
 そう口にする者は、そこいら中に転がっている。
 しかし士郎は、八年もの間、実際にそうして生きていた。
 その覚悟をもって、戦争に挑もうとしていたのだ。
 わたしは、甘かった。
 情けない程に、甘かった。
 なら、そのわたしに出来る事は何だ?
 士郎の代わりに出来る事は、何だ?
 決まっている。

 殺す事だ。

 元々士郎を手伝うと決めた時から、考えてはいた事だ。
 どうせ士郎には、殺される覚悟はあっても、殺す覚悟はない。
 いや、おそらく殺すといった考えが、浮かんでもいないのだろう。
 ならば、わたしが敵を殺そう。
 士郎の為に、人を殺そう。
 悪い人であろうと、良い人であろうと、誰であろうと、士郎の代わりにわたしが殺す。
 士郎にだけは、死んで欲しくないから。
 相手を殺さなければ、士郎が殺されてしまうかもしれないから。
 だから、誰をそうする事になろうと、わたしは決して躊躇わない。
 全ては士郎を守る為に。

 だってわたしは、士郎のお姉ちゃんだもの。

 その為には、武器が必要だ。
 家にある、武器が。

 悲痛なまでの決意を胸に、大河はあらん限りの力で走り続けている。





 所変わって、場所は再び土蔵に移る。
 土蔵の中では、ようやく建設的な話が始まるところであった。

「とにかく、坊やのスイッチを作らないとね」
「どうすれば良いんだ?」
「これから私が取り出す薬を飲めば良いだけなんだけど……」
「何だよ、何か問題あるのか?」
「たぶん、キツイわよ」
「……」
「前例が無いから確実な事は言えないんだけど、まずね」
「死ぬほど苦しい、とか?」
「そこまでは言わないわよ。精々、気絶するくらいね」

 何だそうかと思った士郎だが、よくよく考えるとそれも十分苦しいのではなかろうか。

「……分かった。頑張る」
「ええ、可能な限り頑張りなさい。それと、どうせ解っていないだろうから忠告してあげるけど」
「?」
「坊やの魔術、他の魔術師には、万が一にも知られる事のないようになさい」
「何でだ?」
「何でも。とにかく、誰であろうと絶対に秘密にする事」
「どうして?」
「どうしても。さっき私が言ったでしょう? 坊やの脳髄を引きずり出したいって。あれ、冗談じゃないのよ」
「ちょっと待て! それってシャレにならないぞ!?」
「シャレにならないのは坊やの存在。それだけ坊やの投影が異質だって事よ。当然、他の魔術師も同じ事を考えるから、実験体にされたくなければ精々隠し通す事ね」

 ごくり、と士郎が唾を呑む。
 冗談としか思えないキャスターの言葉は、その実どこにも冗談など込められていないのだ。

「全く、私が敵じゃなかった事に感謝しなさい」
「……そうだな」
「そうよ。私が敵なら、さっきも言ったけど、貴方の脳髄を引きずり出して投影用の魔杖にしているところだもの。戦いの役には立たないけど」

 やれやれと、キャスターは肩を竦める。

「随分と驚かされたけど、よくよく考えたら、何を創ろうと戦力にならなければ意味ないのよね。少なくとも、この聖杯戦争では」

 そりゃあ宝具でも投影出来るなら話は別だけど、とキャスターは自嘲した。
 宝具という聞き慣れない単語が、妙に頭に残った。

「でも、魔術的にはとてつもなく非常識。大いに興味をそそられるわあ。解剖出来ないのが、とても残念」
「解剖って何だよ!?」
「今更そんな事気にしないの。その程度のリスク、これからは生きている限り覚悟なさい」
「……出来るか」
「まあ、良いわ。とにかくスイッチが出来たら、そのうち明確にそれがイメージできるようになるから。頭の中にボタンとか何かしらが浮かぶわ。あとはそれを切り替えるだけで、魔術回路は簡単に開けるようになるから」

 ふと、撃鉄のイメージが頭に浮かんだ。

「今、イメージが浮かんだわね。その通りにすれば良いのよ。もっとも、何をしようと人がサーヴァントに勝てる訳ないけれど。あら、苦い顔をしたわね。でも、それが現実よ。それとも坊やには、勝てるイメージが少しでも浮かぶのかしら?」
「勝てる、イメージ……」
「どうしたのよ、考え込んだりして。まあ、頭の中でイメージするだけなら自由よ。好きなだけ幻想なり妄想なりにふければ良いわ。そこまで面倒見切れないもの」

 肩を竦めながら言ったキャスターは、「ところで一応聞いておくけど」と、土蔵の床を指差した。

「この、床に刻まれている魔法陣は何?」
「え……? ああ、昔からあったんだよ。何々だろうな、これ」

 もともとは何かの祭壇だったのか、土蔵の床には何やら紋様が刻まれていたりする。

「……はいはい。どうせ何も知らないと思っていたわよ。隠すつもりもないみたいだしね」

 ハァ、と大きな溜め息をキャスターは吐いた。
 今日何度目の溜め息になるのかしらね、などと思いながら。
 これまでの士郎と大河からの話で、士郎の魔術の師が父親であった事は分かった。
 おそらくは、その父親が刻んだ物なのだろう。
 この召喚陣は。
 もしやその父親は、十年前にあった聖杯戦争の参加者だったのではないだろうか。
 ならば、その時の情報は価値あるものであり、是非とも手に入れるべきものだ。
 聖杯戦争に関しては、自分には聖杯から与えられた在り来たりのものしかなく、前のマスターからも大した事は教えられなかったから。
 そこまで考え士郎を見やったところで、キャスターは再び溜め息を吐く。

 ――――知ってる訳ないか。

 いい加減、学ぶというものである。
 やれやれ。

「それにしても何なのかしらね、コレは」

 ガラクタを手に取りながら、呆れたようにキャスターが言った。

「だから、投影だろ」
「……投影じゃないわよ、こんなの」
「そうか。じゃあ何々だろうな?」
「投影に決まってるじゃない!!」
「え、え? だって投影じゃないんだろ、これ?」
「だったら、何なのよッ!? あり得ないのよ、こんなモノッ!!」

 八つ当たり気味に、キャスターが喚く。
 あり得ない事の連続で、さすがに我慢の限界なのだろう。
 とっくに超えてはいた気もするが。

「あ〜、え〜っと、じゃあ、似たようなものなんじゃないか? よく分かんないけどさ」
「似たようなものって何を……似たようなものですってえッ!!!」

 大声を上げながら、驚愕の表情となるキャスター。
 その表情は、世紀の大発見でもしたかのようだ。
 そして彼女は、思考の海にずぶずぶと沈み込む。

「……そうね、そうよね。似て非なるモノ。それは現実を侵食する想念。例えば、あの魔術が劣化しただけのモノだとしたら……いえ、あり得ない。あり得ないわ。もうあり得ない事ばっかりだけど、それでもコレは極め付けじゃない……そうよ、出来る筈ないわ。アレは本来、悪魔の技。人に扱える魔術じゃないもの……いえ、でも…………」

 思索にふける、といっては生易しい、声を掛けるのもはばかられる様子のキャスターであった。
 完全に無視された士郎はどうしようかと考えるが、邪魔するのも悪いかと暫く様子見を決め込んだ。
 いま声を掛けたら、エライ事になりそうだし。
 思いやったというべきか、あるいはヘタレというべきか。
 判断の難しいところである。
 そんなこんなで時間は経過し、

「ねえ、坊や」

 考えがまとまったのか、思考の海から浮かび上がったキャスターが、素晴らしくも素敵な笑顔で士郎に呼び掛けた。
 誰もが見惚れるような、弾けんばかりの笑顔であった。
 だが見惚れる以前に寒気がしたのは、士郎の成長した証であろう。

「少し、調べたい事があるんだけど」
「……何をだ?」
「勿論、坊やを」
「嫌だ」
「あら、何で?」
「解剖されたくないからだ」

 キッパリと、士郎は断った。
 無類のお人好しではあるシロウだが、この拒絶は当然である。
 なんせ命の危機なのだ。
 それ程に、キャスターの笑顔は怪しく輝いていた。
 警戒心バリバリの士郎に、キャスターが屈託なく笑う。

「大丈夫よ。色々と脅かすような事を言ってしまったけど、少なくとも私は坊やを害したりしないわ。マスターですもの」

 マスターで無ければとっくに解剖しているぞ、という意味だろうか。

「それに、これから坊やのスイッチを作る訳でしょう? その為にも、どうしても坊やの身体を調べる必要があるのよ」

 さすがにそう言われては断る訳にもいかず、士郎は諦めたように頷いた。
 人間、諦めが肝心なのだ。

「じゃあ、そういう事で良いわね。さて、マスターである坊やの許可も取った事だし」

 そして彼女は暗示を掛けた。

「……坊やも、懲りないわねえ」

 コロコロと、キャスターが笑う。
 士郎は身体を動かせない。

「別に騙した訳じゃないのよ。ただ薬を取り出すにしても坊やの身体を調べるにしても、とかく魔力は必要なのよ……分かるでしょう?」

 士郎の背筋を、ぞくりと何かが走り抜けた。

「溜めた魔力はさっき使っちゃったし、回路の数や属性なんかも調べたいしね……あら、怖い目。良いわよ。言いたい事があるなら言いなさい。喋れるようにはしてあげるから」
「グッ……好きでもない、男と、そんな事しちゃ、駄目だ」
「あのねえ……言わせて貰うけど、私が好きで坊やに抱かれるとは思わないで欲しいわ。正直、屈辱なんだから」

 それでもね、と彼女は言葉を続ける。

「今は戦争中なの。人間命が掛かれば、大抵の屈辱には耐えられるものよ」

 私は人間じゃないけどねと付け足しながら、キャスターは士郎を押し倒した。





 そして、この夜。
 衛宮邸からそう離れてはいない場所にて、蒼い獣と鉛色の巨人との死闘が繰り広げられるのであった。



続く
2007/4/21
By いんちょ


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