大団円を目指して
第14話 「邂逅」
今夜は、あり得ないほど調子が良い。
「同調、開始」
いつものように土蔵にこもって、いつもの如く魔術の鍛錬。
背骨に熱く焼けた鉄の棒をズブズブと突き刺し、魔術回路を作り成す。
そして、いつもの通り強化の魔術を行ったのだが――――
「また、成功した……」
――――今まで、実にれーてんいちパーセントを切っていた成功率が、今日は一度も失敗が無い。
何と、100%の成功率だ。しかも、こんなに楽に。
「……なんでさ」
全く訳が分からない。
何かしらの原因がある筈なのだが、心当たりが一つも無い。
普段と違った事など別に……まあ、敢えて何かを無理矢理挙げるとするなら、昨日見た変な夢くらいだろうか。
嬉しかったような悲しかったような、楽しかったような寂しかったような、そんな夢。
内容は全く覚えていないが、とにかく変な夢だったように思う。
だから何だという感じだが、他に心当たりが全く無いのだ。
今朝から妙に身体の調子は良いし、サビが落ちた、といっては変な例えだが、まるで今まで使われていなかったモノが使われ始めたというか何というか、本気で訳が分からない。
……もしかしたら、今までの努力が実ったのだろうか。
この八年間、鍛錬だけは一日も欠かさず頑張ってきたのだ。
もしもその成果が花開いたとしたなら、才能などこれっぽっちも無い俺、衛宮士郎にとってこんなに嬉しい事はない。
嬉しさを抑えきれず、俺はもう一度強化の魔術を成すべく呪文を呟く。
「同調………」
その時、轟音がした。
隕石でも落ちたかのような、激しい音だった。
「――――ッ!!?」
地響きと地面の揺れに気を取られ、ぎしり、と背骨に突き刺さった鉄の棒がズレる感覚を味わう。
「っ、ぐ、う――――!」
マズイ。
ここで呼吸を乱せば、取り返しがつかない。
乱せば擬似的に作られた魔術回路は肉体を侵食し、体内をズタズタにするだろう。
そうなれば、衛宮士郎はここで終わりだ。
必死に精神を集中させ、かみ砕きかねないほど歯を食いしばり接続を再開する。
「――――、――――――――、――――――――――――」
針の山を歩く鬩ぎ合いの末、時間は掛かったものの何とか魔術回路の再接続は完了した。
……フゥ。
今のはヤバかった。
少し調子に乗っていたかも知れない。
危ない危ない。
気を失いかねない目眩に耐え、びちゃりと汗ばんだ額をぬぐい反省する。
衛宮士郎が自惚れるなど、十年は早いというものだ。
俺は、魔術師として半人前なのだから。
「……そういえば、さっきの音は何だったんだ?」
ようやく身体が落ち着いた俺は、先程の轟音が気になった。
地面まで揺れたのだから、只事では無い。
まさかとは思うが、隕石でも落ちたのだろうか……って、そんな訳無いか。
単なる地震とは思うが一応外の様子を確かめる為、俺は雨の中魔術回路を成したまま土蔵を後にした。
勝手口から家に上がったところで、ふと藤ねえの事を思い出す。
今日は、珍しくも藤ねえが家に泊まっているのだ。
気に掛かった俺は、外へ出るついでに藤ねえが寝ている部屋を覗く事にした。
静かに襖を開け中の様子を伺うと、相も変わらず平和な様子でがあがあと熟睡している藤ねえの寝姿が見えた。
……さすが、藤ねえ。
あの轟音の中、地面まで揺れたというのに平気で寝こけているとは。
この辺りのずぶとさは、見習うべきかもしれない。
なんて事を思いながら、俺はそっと襖を閉め玄関に向かった。
靴を履いて玄関の鍵を開け、ガラガラと横開きの扉を開く。
「あれ、桜か?」
するとそこには、桜がいた。
一瞬、我が目を疑ってしまう。
こんな時間に桜が玄関先にいる事もそうだが、見知らぬ少女が桜の隣にいたからだ。
美しい銀の髪をした、外国人の幼い少女。
そんな少女が、何故桜と一緒に俺の家の前にいるのか。
加えて、二人は何故ずぶ濡れなのか。
戸惑った俺は理由を尋ねるべく桜に視線を移すが、次の瞬間仰天した。
「うわッ!? 桜、何て格好してんだ、おまえッ!!?」
桜は、寝間着のままだった。
しかも、濡れた寝間着は透けていた。
バッチリ、下着が見えていた。
あまつさえ、下着の色まで分かった。
いま俺の顔は、トマトのように真っ赤に違いない。
「ちょ、ちょっと待ってろ、すぐにタオルを……!」
「先輩ッ!!!!」
「シロウッ!!!!」
慌ててタオルを取りに家に戻ろうとする俺だったが、その俺の胸に桜と知らない女の子がタックルの如く跳び込んで来た。
「グアッ!?」
二人の凄まじい勢いに押されながらも何とか倒れず踏ん張ったが、何が何だか分からなくなる。すると、
「お、倒れずに頑張ったわね。偉い、偉い」
などと傍から偉そうな言葉が聞こえた。
何処かで聞いたような声だと思いながらそちらに視線を向けると、その先には、
「え……あれ、遠坂? 何で、ここに?」
何とあの遠坂が、濡れそぼった格好ながら不敵な笑みを浮かべ立っていた。
「桜とイリヤが、ここにいるのよ? だったら、わたしがいるのも当然でしょ?」
穂群原学園一の優等生であり、全男子生徒の憧れであり、世の男の理想ともいえる彼女。
そんな彼女が、何故接点などこれっぽっちも無い俺の家の前に、且つこんな時間に、なお且つ桜達と一緒にいるのか。
ついでに、何故自分がここにいるのがさも当然のように言うのか。
それらの疑問全てを、俺は次の一言に集約した。
「なんでさ?」
「あのねェ……」
遠坂はいかにも呆れたように言っているが、ハッキリ言って全く訳が分からないぞ。
桜はまだしも、遠坂がここにいる事自体が不思議だし、桜と一緒に俺に抱き付いていると言うかしがみ付いているこの知らない女の子も不思議だ。
まあ、分からない事は訊けば良いか。
「遠坂」
「何よ?」
遠坂が、ムカッとしたような声を返す。
……あれ?
遠坂って、こんな感じの奴だったか?
その事を疑問に思うも、それはさておき俺はこの女の子の事を尋ねた。
「この娘は、誰なんだ?」
瞬間、俺にしがみ付いている二人は身体をビクリと震わせ、遠坂はまるで信じられない物でも見たかのような顔をした。
「……え?」
「……先輩?」
「……何?」
俺を見上げる胸元の二人も、遠坂と同じような顔をしたまま硬直している。
何故こんな反応をされるんだろう。物凄い違和感を感じるぞ。
「遠坂の知り合いか?」
それとも、もしかして一度会った事があったのだろうか。
それを、俺が忘れているとか。
桜も遠坂も、俺がこの娘の事を知っているのは当然といった感じだし。
「士郎、なに言って……」
何かを言い掛けて止めた遠坂は、何やら混乱しているようだ。
どちらかといえば、混乱するのは俺の方だと思うのだが。
って、そんな場合じゃ無かった。
このままじゃ、三人とも風邪を引いちまう。
「とにかく、三人とも上がれ。びしょ濡れじゃないか」
だから、まずは家に上がって貰う事にした。
事情は分からないが、話は後で聞けば良い。
え〜と、取り敢えずは家に上げて、タオル持ってきて、それから風呂を沸かして入らして、あとは……あ、藤ねえが居たっけ。
今日は、珍しく泊まっていったんだった。
よし、あのトラも起こそう。何かの役には立つだろうしな、うん。
頭をブンと一振りし、目に焼き付いてしまった今の桜の格好を無理やり頭から追い出すと、俺はそんな段取りを組み立てる。
直後、悲鳴の様な声が胸元から上がった。
「シロウ、なに言ってるの! わたしッ! イリヤッ!!」
「そうです、先輩ッ! 冗談は止めて下さいッ!!」
俺に縋り付きながら、躍起に喚く桜と知らない女の子。
二人は、既に涙目だ。
「えっと……」
……まいったな。
「……イリヤか?」
「そう! わたし、イリヤッ!」
イリヤという女の子の瞳が、俺の言葉に輝いた。
「……もしかして、桜の知り合いだったか?」
しかし、すぐさま失望に染まる。
違ったようだ。
良く分からないが、この娘にとても悪い事をした気がする。
やはり前に会った事があるのだろうか。だが、いくら何でもこんなに目立つ娘を忘れる訳が……
そんな事を考えていたら、イリヤは逃げ出すように行ってしまった。
「イリヤさんッ!!」
走る彼女を、桜が追いかける。
「おい、待て二人共……!
って、桜! おまえ、足怪我してるじゃないか!」
二人を止めようとした俺は、この時初めて桜が裸足であり、しかも足を怪我している事に気が付いた。
桜の格好に気を取られて、今まで全く気付かなかった。
――――情けない。
どうして俺は、こう馬鹿なんだ。
心底自分を情けなく思いながらも俺は桜達を追いかけようとしたが、その時いきなり遠坂が両手を上げて目の前に立ち塞がった。
「待ちなさい、士郎ッ!」
「何だよ、遠坂!? 今はそれ所じゃ……!」
「いいから、待ちなさいッ!!」
遠坂の一喝に、俺は思わず動きを止める。
「遠坂……?」
「士郎、一つだけ教えなさい」
「あ、ああ」
静かながらも峻烈な物言いに、俺は当惑した。
只事では無いその様子に無視して行く事など出来ず、立ち止まった俺は正面に立ち塞がる遠坂の目を見る。
迷っているのか言い難いのか、遠坂は目を逸らす事は無かったがすぐには口を開かなかった。
暫しの静寂。
雨の音がやけに耳に付く。
なかなか話を切り出さずにいた遠坂だったが、やがて意を決したのか言葉を区切るようにしてこう言った。
「士郎」
「何だよ」
「――――セイバーって……知ってる?」
「なにさ、それ?」
遠坂は天を仰いだ後、盛大に息を吐き出した。
どうやら、俺の答えがお気に召さなかったようだ。
「…………ううん、何でもないの。
桜はわたしが追うから、心配しないで。
夜分遅くに悪かったわね、謝罪するわ――――――――衛宮君」
言い終えるやいなや、遠坂は走り出す。
その目に、涙が見えた気がした。
「おい待て、遠坂ッ!」
俺は慌てて遠坂を追いかけようとしたが、
「ぶえっくしょ〜い!!」
などと後ろから気の抜けるどでかいくしゃみが聞こえ、ズルッと転びそうになった。
何と言うか、色々なモノが今ので全て台無しになった気がするぞ。
無論、こんなタイミングでこんなコトをするこんなアホは一人しかあり得ない。
「う〜、さむさむ……こんな時間にどうしたのよう、士郎。さっき、お姉ちゃんの部屋に来たでしょう……むにゃむにゃ…………」
むにゃむにゃと、わざわざ口に出して言う馬鹿トラ。
言わずもがなだが、それはどてらを肩に引っ掛けた寝巻き姿の藤ねえであった。
いや、藤ねえしかいないんだけどさ。
「話し声が聞こえたけど、誰か来てたの? 玄関開いてるし」
のほほんと、涎の後をくっきりと口元に残しながらのたまう藤ねえ。
って、そうだよ! それ所じゃ無かったんだよ!!
「藤ねえ! いま遠坂達が……!」
「よく分かんないけど、外行くなら傘持って行きなさい。雨降ってるんだから」
「だから、それ所じゃ……!」
「ダメ」
「クッ……」
藤ねえの言う通りにするのはシャクだが、ここで逆らっても時間が無為に過ぎるだけだ。
ここは、素直に傘を持って行こう。
非常にシャクだが。
俺は遠坂達を追いかける為、玄関口の傘立てに突っ込んである傘を三本引き抜いてから雨の中を駆け出した。
――――そういや遠坂の奴、俺の事を名前で呼んでたな。
そんな事を、ふと思いながら。
雨の中、俺は遠坂達に追いつく為ひたすら走っている。
そう、ひたすらに走っているのだが……これが全く追いつかない。
遠坂はまだしも、桜の奴はこんなに足が速かったっけか? 小さな女の子まで一緒にいるってのに……
そんな愚にもつかない事を考えながら、俺は懸命にひた走る。
早く追いつかないと、あいつらが風邪を引いちまう。
風邪ならまだしも、身体を壊しでもした日には冗談では済まない。それくらい三人はずぶ濡れだった。
――――クソッ! やっぱり、藤ねえの相手なんかしてる場合じゃ無かった!
俺が八つ当たり気味の悪態を一つ吐いた時、ちょうど町の中心地である交差点に出た。
よし、このまま桜の家に……って、あれ?
あいつら、何処に行ったんだ?
桜の家で良いのか?
それとも、遠坂の家だろうか。
というか俺、遠坂の家なんて知らないぞ。
気付けば、俺の足は交差点のど真ん中で止まっていた。
マズイ、こんな所で立ち止まっている暇は無いってのに。
早くあいつらに追いつかねばならないのだが、そのあいつらの行き先が分からない。
……参った。
いや、どちらにせよ遠坂の家の場所は知らないのだから、桜の家に向かうしか無い。
そう決めた俺は、桜の家に向かうべく走り出す。
その時、視界の端に何かが映った気がした。
気が急いているにもかかわらず妙に気になった俺は、足を止め辺りを見回す。
それが、俺と彼女の出会いだった。
続く
2006/6/1
By いんちょ
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