top

サイト内検索

原始仏教と大乗仏教

【仏教は輪廻からの脱出が目的】
 仏教は釈迦(インド人のゴータマ・シッダルタ)によって始められたことは誰でも知っていることだと思います。 ではその仏教と現在私たちが接している仏教とはどこが違うのでしょうか?

 釈迦が始めた仏教(原始仏教ともいう)の教えは解脱、つまり、輪廻から脱して悟りを開くことを説いています。 輪廻とは六道(上から、天上界、人間界、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄)という六つの世界を人は永遠に巡るという考えで、 古代インドで考えられていたものです。

 つまり、人は死ぬのではなく、この六道を永遠に繰り返すということで、古代インド人はこのことを苦しみと考えていました。 仏教とはこの苦しみである輪廻から脱するための方法ということになります。

 釈迦は現在のネパールにいた釈迦族の王子という身分や妻子を捨てて出家し、苦行によって解脱を求めようとしましたが、 その考えが間違っていることに気付いて、菩提樹と呼ばれる木の下で悟りを開きました。

 人は生きている限り、必ず苦しみ(四苦~生、老、病、死、八苦~生老病死に加えて愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦)があり、輪廻の考えではこの四苦八苦を永遠に味わい続けなければなりません。なぜ苦しむのかといえば、例えば死ぬことがいやで生に執着をするからで、病になりたくないのも、病気で苦しみたくないから、病気になることで苦しむことになるわけです。

 このように何かに執着した状態を煩悩といい、この煩悩が四苦八苦の大元になるわけです。したがって、煩悩を無くせば苦しみから逃れることができると釈迦は考え、その方法として万物は無常(永遠に不変なものはない~諸行無常)であるという考えに到り、悟りを開いたわけです。

【大乗仏教は人の救済が目的】
 釈迦はこのように悟りを開いて仏陀となって、解脱に成功しましたが、どのような方法で解脱をしたのかについてはほとんど説かれていません。これでは釈迦は解脱して苦しみから解放されたことにより、自分自身は救済されましたが、他人を広く救済することはできません。

 ほとんどの宗教が救済を目的としていることから言えば、それはおかしいという考えを基にしてできたのが、大乗仏教です。今、日本人が「仏教」と呼んでいるものの実質は釈迦の仏教ではなく、大乗仏教なのです。

 大乗仏教の考え方は、普通の人が釈迦のように解脱をすることは難しいので、苦しみから脱するために、すごく偉大な仏陀が自力で悟りを開けないような凡人でも、その仏陀を信仰して拝んでいれば輪廻の外の浄土に生まれ変わって、往生できるのではないかということです。つまり、如来(悟りを開いた釈迦の自称)への信仰を手段として、大衆の救済を図るということです。

 具体的には、法華経などの後世に作られた経典で歴史上実在した釈迦ではなく、信仰上の対象である釈迦如来が説く法を信仰することで大衆は救済されるということです。

 これに対して、本来の原始仏教では自力で、法句経や阿含経など釈迦自身の言葉をたよりに解脱を目指します。この考えは、大乗仏教に対して小乗仏教と呼ばれていて、これは自分の解脱のみを目指すことに対する大乗仏教側からの蔑称(大きな乗り物に乗ってみんなで解脱を目指すのではなく、小さな乗り物で自分だけ解脱を目指すという意味)で、現在では上座部仏教と呼ばれています。

 上座部仏教の考え方は、「釈迦のような偉大な人ですら、厳しい修行(苦行を意味するわけではない)の後にやっと悟りを開くことができたのに、簡単に他人を救済することなどできない。したがって、凡人にできることは出家して世間のしがらみを一切捨てて修行し、一歩でも釈迦の境地に近づくことのみである」というものです。

 このように釈迦の始めた仏教は大乗仏教の考え方により、大きく転換し、現在に到ることになったのです。