随 想(思いつくまま)

(9/21) 「もの言える自由」裁判傍聴記
 

「もの言える自由」裁判傍聴記

 市内在住の池田幹子さんが起こしている「もの言える自由」裁判を傍聴するために、霞ヶ関まで出かけた。この裁判は池田さんが20053月に前任校(都立高校)の卒業式に来賓として参加し、来賓紹介の際「おめでとうございます。色々な強制のもとであっても自分で判断し、行動できる力を磨いていって下さい」と言った一言が不適切だとして都教委に調査され「指導」処分を受けたことに対して、精神的苦痛を受けたとして東京都に対して損害賠償を請求しているものである。

 私は池田さんと直接面識はないが、連れ合いの岩木氏とは立川での731部隊展を手伝った際知り合い、町であえば挨拶ぐらいはする仲である。

 今この国は、だんだん自由にものが言えない国になりつつあること私はたいへん憂慮している。こういう情勢の中にあってこの種の裁判を起こすことは勇気の要ることである。“明日は明日の風が吹く、赤信号みんなで渡れば怖くない”という生き方がどんなに楽であろう。できることならそうしたい。しかし、先の大戦ではそういう安易な生き方がとんでもないことを引き起こした。勇気に欠ける自分だが、せめて応援することぐらいはできるはずと言い聞かせ出かけた。

 裁判は傍聴席20名と言うことで55名があぶれた。私もその一人である。開廷前にひと悶着あった。2回目からずーっとこういう状態(本日は4回目)であり、もっと大きな法廷に変更してもらいたいと要望していたにもかかわらず、なんの説明もなく、若い事務員がおざなりにことを運ぼうとしたからだ。傍聴する権利が侵害されていることを何と考えているかと傍聴人の一人が吼え、騒然となった。

傍聴と云う制度があるとはいえ形骸化している実情を目の当たりにして、民主主義の形骸化と重なる思いがした。

 私は傍聴にあまりこだわっていなかった。傍聴者の員数を一人でも増やすことが、池田さんを勇気付けることになると思って出かけたのだ。私に出来ることはそのぐらいしかない。しかしこうした行動が今大変重要なことだと思っている。

 裁判は15分足らずで終わり、その報告会が控え室で行われた。

帰宅してインターネットで検索したら、岩木氏も君が代不起立で処分を受けたことを知った。夫婦共々頑張っていることを知った。今後も応援したいと思う。

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