随 想(思いつくまま)

(8/26) マンション管理組合役員就任に思う
マンション管理組合役員就任に思う

 マンションの規定では各棟各階から1名計6名の理事が順番制により選出され、内3名は前期理事が留任することになっている。10年前の入居時、順番が回ってくるまで果たして生き長らえているだろうかと思ったが、馬齢を積み重ね、この日を迎えた。今日の第10期住民総会で承認され、第11期の役員を務めることになったという次第である。新理事間の互選により、理事長、副理事長、会計担当理事、監事が決まり、私には監事の役が回ってきた。理事長と言う要職はとても務まりそうになく、抽選のクジに当たったらどうしようという思いがあったが、幸い話し合いにより若手の同意が得られ安堵した。歳をとると、とかく云うことに体がついて行かず、老害を撒き散らすことを何よりも怖れていたのである。

 10年前の第1回の総会の記憶がよみがえる。初めてのマンション住まいということか、中央コミセンの会場は出席者で一杯だった。販売系列の管理会社のエライさんが、「マンション管理組合は自治会ではなく、マンションの資産価値の維持向上のためにある」と強調された。とかくマンション管理組合の役員は住民意思のとりまとめなど雑用に明け暮れ、役員のなり手がないことを考慮して、資産価値の維持は当社に任せてほしい。皆さんにお手数を掛けさせないという口ぶりであった。住民の最高意思決定機関として住民総会があり、管理会社は管理委託契約締結先と言う意味で対等の立場にありながら、大家が店子を諭すが如く「管理組合はこうあるべきだ」と説教を垂れること自体がとんでもないことなのだが、一同初めての経験であり、とくに異論の出ようはずはなかった。そしてこの洗脳効果は今まで連綿として続いていると言ってよい。

 23年、月日が経過するに従い、「理事会は自治会ではない」という言葉に違和感を感じ始めた。資産価値は建物の清掃、防犯カメラの設置などハード面はもとより、そこに住む住民の心つまりソフトの面、この両面が相まって、資産価値を生ずるのである。この75戸のコミュニテイの現状如何。残念ながら未熟のまま今日を迎えたとの思いが強い。成熟したコミュニテイとは、他人のプライバシーを侵害することなく、決められたルールを守り、互いの信頼関係を築き上げ共同生活を営む社会である。「ゴミ出しのルールを守ってください」という管理人の張り紙を今だに目にすること自体、住民自治は未成熟と言わざるを得ない。

 3月11日の大震災の際東京もかなり揺れた。現地の死者行方不明者の人数が連日新聞の片隅に掲載された。東京に直下型地震が何時起きてもおかしくないと云われて久しい。管理会社はもとより、水道ガス電気、市役所・消防・警察とのインフラが途絶し、陸の孤島と化した際、先ず最初に行うべきことはマンション住民全員の生死確認だろう。一体これを誰が担うのだろうか。理事会を措いて他にないのではないか。例えば家具の下敷きになって動きが取れず、餓死した人が、1週間後に発見されたとする。このマンションのグレードは地に落ち、資産価値は大きなダメージを受けるだろう。震災後最初の総会の席上、震災対策が話し合われたかどうか質問したが、管理会社はもとより、管理組合サイドでも話題になった形跡はなかった。これで安心して住めるマンションと言えるだろうか。現在の住民数は人何人、犬何匹、猫何匹ぐらいの情報は共有したい。

 もう一つショックを受けた事例をあげる。明らかに震災の前から、テレビの映像が瞬間的に乱れる現象が起きていた。管理人にこんな話が持ち込まれたことはないか聞いてみたが、「それはない。あなたのテレビが悪いんじゃないの」と取り上げてくれない。結局自費負担覚悟でケーブルテレビに出張診断してもらった。運よく来宅技術者の面前で画面が乱れてくれた。技術者はすぐ原因がわかったようだ。しかし理解できないのは何故よそから文句が出ないのだろう、この機器につながっている家庭数軒は同じ現象が起きているはずなのにと云う。やっと管理会社も腰を上げ、各家庭のテレビ受信状況を書面アンケートで確認し対処するから10日間ばかり待ってくれと云う。そうこうしているうちに、電話がつながらないという事態が発生した(8月初旬のこと)。原因はテレビの受像乱れと同一の原因だという。テレビの映りが悪いのには辛抱しても、電話不通には黙っておれないのは当然である。私自身電話をもらうはずの友人から連絡がなく、後日この件を話題にしたところ、テレビの画面が乱れているのに半年以上も長い間ひたすら辛抱したという事態は、美徳でもなんでもなく「異常」の一言だと、彼(練馬のマンション住まい)は切り捨てた。どこにも苦情の持ち込んで良いか判らず、また申し出ても改善の期待が持てなかったのか。こんな状態は早急に解消されなければならないと思う。
 今期は大規模修繕の年に当たり、これが大きな仕事の一つだという。阪神淡路大震災時のマンションの復興事情は、住民自治、コミュニテイが成熟しているマンションほど建て直すか修繕で行くかなどの意思決定がスムーズに行き、早く復興したと云われている。平素から住民の意思疎通ができているか否かの大切さを思う。

 理事会は毎月開かれるようだ。理事会開催支援も管理会社への委託業務の一部に含まれているという。そのため会場予約、開催通知書面の作成なども管理会社の分担らしい。会場手当てぐらい理事会でやっても良いのではないかと思う。管理組合がもっと主体性を発揮するべきではないのか。そんな気がした。理事会議事録の作成まで委託するのか? この疑問は次回の引き継ぎ会で明らかになることだろう。

また、理事会でどんなことが議題に上ったのか大多数の住民は知らないのが現状である。一頃、理事会報告が全戸に配布された時期があり、その労に敬意を表したが、いつしか取りやめになった。住民への広報活動が現状のままで良いのか、これも検討課題だ。かわら版の発行といきたいところだが、「誰が編集するのだ!大風呂敷もほどほどにせい!」と叱られそうだから当分様子を見よう。

 今期限りで建設当初からの管理会社が変更になった。意外だったのは圧倒的多数という投票結果による変更であったことである。住民の多数が不満を感じていながら耐えて来た「辛抱強さ」をみる思いである。管理会社が変わり良くなったという実感を住民が持てるように、そのためには何をすべきか、これも今期の課題の一つであろう。枯れた植栽の手当て、カビの生えたコンクリートの補修などのほかにも、何か目玉が欲しい気がする。玄関のスペースに接客コーナーの設置、住民専用の掲示板の設置など考えられるが、節電中の電力消費量が増えたり、テーブルや椅子も只ではない。屋上に自家発電装置を設置することも時節柄話題になっても良いが、果たして採算が取れるものか疑わしい。

 住民相互の親密の度合を増すための方策も考えるべきだろう。お花見の宴や餅つき大会などは如何にも古くさくてダサい。到底このマンションには合わない。年1回、「マンションまるごとワークショップ」の企画などどうだろう。自宅の玄関先で思い思いのワークショップ開店(客は住民とその知人に限る〈警備の都合上〉、ショップの趣向、形態は全く自由、日曜日の午後2時間程度、企画の全容をチラシで各戸配布・・・)など妄想は膨らむ。

 最後に。自制に努め、健康でこの一年無事職務を遂行したいものである。

                     (2012,8,26記)