随 想(思いつくまま)

(8/19) 「茶色の朝」を読む
 フランスのベストセラー
 フランスのみならず世界でよく読まれているという噂を耳にしていた本である.8・15集会での売店に積まれており、購入した.簡単に内容を紹介すると、茶色の犬しか飼ってはならないという理不尽な取り決めが、いつのまにかそれに反対する新聞を廃刊に追い込み、取り決めは犬から猫に広がり、国は茶色一色の国になってしまう.そしてついにある朝、過去に茶色でない犬を飼っていたと言う理由で、逮捕者の手が玄関のドアーをノックするところで終わっている.全体主義国家つまり「茶色の国」誕生の寓話である.
 50年前の記憶
 私が満13歳の時、日本は敗れ戦争が終わった.当時感じたことは”親たち大人はなぜこんな馬鹿な戦争を始めたのであろうか”という疑問であった.軍靴の足音が日増しに強まっていく中で、何処かおかしいと感じなかったのだろうか、戦争に反対した人はいなかったのだろうか、軍の横暴を誰も止められなかったのだろうか.天皇の責任はないのだろうか.戦争を考えることで社会へ眼を開いていったように思う.
 戦時の経験
 天皇の神格化、戦争非協力者に対する村八分の仕組み、戦死者(英霊)の賛美、鬼畜米英の教育、一方的な報道、などの戦争装置が見事なまでに稼動していた.この装置に疑問を提することは、村八分というイジメや苛酷な刑務所の生活が待っており、命懸けの生活を選択することを意味していた.私は銃を持つことはなかったが、戦時下の社会情勢を幼いながら経験した.
 管理社会を生きて
 われわれ昭和一桁世代が戦後の高度経済成長を成し遂げたとされる.朝鮮戦争の特需で力をつけた日本経済は、労働組合を骨抜きにし、生産性向上という錦の御旗のもと、国民は完全な管理社会の仕組みに取り込まれてしまう.この管理社会の仕組みと戦時の体制とは異質なものではない.戦争をした大人の馬鹿を嘲笑った世代が、ジャパンイズナンバーワンと酔っている間に、いつか来た道をたどりはじめていたのである.
 そして今
 憲法が国の形を決めると言う.憲法を改正しようとしている側の言う国の形とは戦争ができる国、殴られたら殴り返すことのできる”普通の国”を言うらしい.またある人は天皇制(天皇のもと全国民”和を以って尊しとする”)の国を言うらしい.主権在民ではなく「まず国家ありき」つまり主権者は国家である憲法に変えたいらしい.一連の動きは国家に忠誠を尽くす教育が行なわれるべきだという教育基本法改正に繋がっている.
 みんなで渡る横断歩道
 歴史に逆行する理不尽な動きだと思っていても、おかしいと言うにはエネルギーと勇気が要る.本来人間はそんなに強い生き物ではない.何時の時代も周りの人たちと同じように生きることほど楽で仕合せなことはないのである.横断歩道が赤信号であってもみんなで渡り、そして「茶色の朝」を迎えるのである.自らの人生を省みて、頷くこといっぱいの警告の書である.