随 想(思いつくまま)

(8/15) 8月15日に思う
 開戦の日の記憶
 あの日を四国徳島の田舎町で迎えた いつものように集まって登校したのだが 途上みんな気分はハイであった 「負けるんじゃないか」と言おうとした矢先誰かがそれを言ってしまった 瞬間的に「いや絶対勝つよ」と言ったことを憶えている 相手国の力など全く知らずアテモノの世界で 勝ち組と負け組に分かれての賑やかな登校 小学校四年の時 空っ風の朝であった
 空襲被災の記憶
 7月3日から4日にかけて 徳島市は無差別爆撃に会った 我が家は直撃弾を受けなかったので飛び火をバケツや火タタキでおおかた消したのだが 気がついた時は周り一面は火の海であった 私は妹弟3人を連れ 濡れ布団を被せて脱出した 今思い出しても全員無傷だったのは奇跡に近い 田植えを終えたばかりの田圃に浸かって夜明けを迎えた  
 終戦の日の記憶
 重大発表があると言うので 部落に一つしかない私の家のラジオの前に近所の人たちが集まった 受信状態が悪く良く聞こえなかったが 部落の指導者的立場にあった長老O氏が「これだけ大きな戦争したのだから これで終わりということにはならないだろう ちょっとタバコして(休憩して)また始めることになるだろう」という”総括”で三々五々に散会した 私自身半信半疑で”負けた”という実感も”終わった”という感慨もなくあの時は過ぎた 暑い夏の昼下がりだった
 自我への目覚め
 親たちは何故あんなバカな戦争をしたのだろうか 戦後ぶつかった大きな疑問だった 歴史を学ぶうちに大半の国民は時の権力に抗しきれず 大きなものに捲かれて行ったことを知った しかし最後まで反戦の立場を貫いた人のいたこことも知った 生きていく上での座標軸を何処に置くかは 自我に目覚めつつあった青春時代の最大のテーマであった そして到達した結論は「常に反権力の側に真理あり」だった
 50年余を生きて
 社会主義国家が崩壊し アメリカ超大国が出現し 戦争と平和の構造が大きく変わった 恣意的に武力を行使するアメリカ国家と それを阻止しようという国境を超えた市民の力の二大勢力対立の時代に突入した 現首相はいとも簡単にアメリカ追随の道を選択し 国民も半ばそれを容認している 先の15年戦争の戦争責任も明確にせず(特に天皇) アジア近隣諸国への戦後処理も果たさず友好政策も模索しないまま急速に”戦争する国”への道を辿り始めている
 日本占領は成功事例?
 アメリカはイラクやアフガンに自由と民主主義をもたらすためと称して武力により侵略した 日本占領はその成功例とする米国内の議論がある 他国への内政干渉を正当化する”裸の王様”アメリカに対し その誤りを忠告できるまで日本の民主主義が定着したのなら あるいは成功例かもしれない しかし現実にはアメリカは戦後の日本民主主義を虚妄とし戦前の日本を実在とする”戦争できる国”に仕立て上げようとしているではないか 日本はアメリカの奴隷国家でしかないことを忘れてはならない