随 想(思いつくまま)

(8/11) 「歩き遍路」を読む
 

辰濃和男様

前略

 先に岩波新書で「四国遍路」を上梓された際、お手紙を差し上げた野津でございます。その節は丁寧なご返事を頂き恐縮しました。

 このたび「歩き遍路」を武蔵野市図書館の書架で見つけ、読ませていただきました。読みながら自分が歩いているような気分になり、頷きながら、一晩で“通し打ち”しました。

 私は昨年10月、秩父を1週間かけて廻ってきました。山道で転倒、顔面血だらけになるアクシデントもありましたが無事結願しました。途中、道に迷ったところで同じく道に迷った一人のご婦人に出逢いました。その方は1年前に息子さんを亡くし、遺影を胸に廻っておられました。世の中には「お前より大変な思いをして生きている人がいるのだ。お前の願い事の順位はかなり後だぞ」と諭された気がしました。あのご婦人は姿を変えた観音様であり、今回の秩父巡礼はあの観音様との出会いがすべてでした。

 先日、郷里の叔父から1冊の本が届きました。「阿弥陀如来坐像」と云う本で、近くの寺の阿弥陀如来坐像を修理することになり、解体したところ、胎内から法華経全8巻の入った経筒が出て来たことなど、その一部始終を記録した本でした。その経筒は戦国時代に盛んであった六十六部廻国聖による納経であると解説が付いていました。巡礼や山岳信仰以外に、全国を廻った遊行僧の存在があったことを知ってびっくりしました。廻国聖についてもっと詳しいことを知りたいと図書館の索引を繰りましたが、文献はあまりないようでした。

 一枚の納め札を同封します。札はもっと個性があって然るべきと、秩父行きに際してはオリジナルの札を作って廻りました。本の中の「不殺生と不戦」の項を興味深く読ませていただきました。

 駄文を連ねました。お読み捨て下さいますよう。

   2006,8,11
                                        草々

                                    野津功