随 想(思いつくまま)

(7/4) 母の一生に思う
 激動の一世紀
 昨年の今日 明治40年生まれの母を彼岸へ見送った 明治という時代は「西洋に追いつけ」を合い言葉に 富国強兵の道をひたすら歩んだ時代だった
 そんな時代に生を受け 士族町民という階級意識や 地主小作の封建制度の残る大正デモクラシーの時代を生き 昭和恐慌 戦争 敗戦 経済成長そして平成のバブルにいたるまで 時代背景は激動の一世紀だったと言える
 母の一生
 この間 母は八人の子を産みうち二人の死を看取り 徳島空襲(奇しくも死の52年前の7月4日)では家財一切を失った 決して平坦な人生ではなかったが 時代が少しずれたおかげで 子を戦場に失うこともなく まずは幸福な一生だったと言えるかもしれない
 母は強し

 私の少年時代 たくさんの兵士を日の丸を振り 万歳を叫び出征を祝った 息子たりとも笑顔で送らねば 非国民と罵られる時代だった 人目憚らず泣いていた女の人が少年の目には異常に感じられた そのことを母親に話したら 出征がめでたくなんかあるものか 悲しいのが当たり前だと 自分のことのように泣き出してしまった あの日のことを忘れられない 
 授戒式と戒名
 母は生前授戒式を受け 死亡時には既に戒名を得ていた 着々と死の準備をしていたと言える 死亡の原因は心臓疾患によるものだが 死の一ヶ月ぐらい前から時々意識が混濁し 明らかに臨死体験と思はれる彼岸の様子を語り 看病の長女を悲しませた 今は仏への道を着実に歩んでいることだろう

 昨日 四人目の孫が誕生した 時空の歯車は確実に回転している