随 想(思いつくまま)

(7/2) 「占領と性」を読む
 戦後はひとつながりではない
 我々は1945,8,15以降の歳月を「戦後○○年」と言い表してきた。これは妥当かという問いかけからこの本は始まる。戦後はひとつながりではない。1952年4月28日独立国家となったが、それまでの被占領期間がある。この被占領期間を戦後史から抹殺する考えを共有しているのではないか。
 「良い占領」
 日本占領は「良い占領」とされている。常に戦争は正義の戦争を掲げて行われる。イラク民主化を掲げて始まったイラク戦争に占領モデルとして日本占領があげられている。「良い占領」を認めることは「良い戦争」を認めることにつながる。果たして日本占領は「良い占領」だったのか。「性」を通じて再検証する試みである。
 占領軍用性的慰安施設(RAA)の設置
 占領軍が厚木基地に降り立った8月28日と同日付でRAA設立の宣誓式が行われている。設立までの詳しい経緯は本書に譲るが、近衛文麿ほかの指導層は無条件降伏後の「国体維持のため」、RAA設置の必要を感じたようだ。国体維持と慰安所開設の関係は詳しくは書かれていないが、日本女性が陵辱されることにより、国体の基本である家族制度が崩壊し、混血民族となり国体が維持できなくなると考えたらしい。
 慰安施設は国策売春
 戦後も女性は”国体維持の特攻隊員”として集められた。まさに国策売春制度である。占領軍は婦人に参政権をあたえ、封建的な家族制度から開放したが、慰安施設の女性の人権はどう考えていたのか。占領軍兵士の性病防止に最大の関心があったが、女性の人権を省みることはなかったのである。「そもそも彼らは『黄色い顔をした慰安婦』に人権があるとは思いもよらなかったのかもしれない」と書く。

 私は思う。「良い占領」だったというのはまやかしで、今もなお占領状態が続いていると考えている。アメリカにとって「良い占領」かもしれないが、民族自決という民主主義の原則から逸脱しており、それにアメリカは全く気がついていない。そして世界中で我が物顔に戦争を始めるのである。困ったものである。時間のない方はせめて「まえがき」に目を通していただきたい。

「占領と性」:編者=恵泉女学園大学平和文化研究所
        発行=(株)インパクト出版会