随 想(思いつくまま)

(7/15) 「操守ある保守政治家三木武夫」を読む
 私は小学校1年から中学校2年までを徳島県で過ごした。この間開戦があり、空襲に被災し、郷里で敗戦を迎えた。徳島は三木武夫の選挙区である。当時の3人の三木候補が立候補したことがあり、一人の三木は医者でその娘が私の姉と女学校で同級生であったことが記憶にある。三木武夫は当時大政翼賛会の推薦を受けずに立候補する。翼賛会は二人の三木姓の候補者を推薦するなどの選挙妨害があったことを三木睦子さんがこの本で語っている。そういうことだったのか腑に落ちた。
 「操守ある」とは自分の信念に忠実な態度を貫くという意味であろう。左寄りの評論家いいだ・もも氏が彼に「操守ある保守政治家」という形容詞を冠したとある。私も徳島県という縁から彼の一挙手一投足には注目してきた。果たして総理大臣になるだろうかと。
 本書では、沖縄の核抜き返還で佐藤首相がノーベル平和賞を受け、日中国交回復を成し遂げたのは田中角栄ということになっているが、その実質的基礎固めは三木氏のお膳立てによるものだったことを明らかにする。
 著者国弘正雄氏に本書を上梓させた理由は『第8章フレンドリー・ファッシズムの時代』に明らかなように、この国にたいする憂国の情である。この国にはリベラルな操守ある政治家がいなくなってしまった。それと相反すように新たなファッシズムが進行していることに対する憂いである。「ファシズムが自由主義の後から来たことを忘れるな」という加藤周一氏の警告を紹介しながら、違憲のイラクへ派兵は忍び寄る笑顔のファッシズムではないかと問いかける。 
(閑話休題)
 私は定年退職後、職業訓練校で植木の剪定等を習った後、市のシルバー人材センターに登録し、市内各家庭の庭の植木を手入れした経験がある。その頃、施主の隣にかって三木氏が住んでいたことがあり、当時の話を聞いたことがある。また本書にも登場する丸山真男氏が亡くなる数日前に、氏の隣家の庭の作業をしたことを思い出す。
 「操守ある保守政治家三木武夫」 著者 国弘正雄 
 発行所 (株)たちばな出版