随 想(思いつくまま)

(7/13) 負けるが勝ち
 死語になったか
 子供のころケンカの仲裁に「負けるが勝ち」と云う言葉があった。はやる二人を背後から羽交い絞めに押さえ、まあまあとなだめ、お互いに「負けるが勝ち」とその場を収める方便だった。この言葉が日本特有のものか否かは知らない。この言葉によって間(ま)がもたらされ、取り敢えずその場は収まった経験をわれわれの世代は持っている。この言葉を聞かなくなって久しい。
 今必要な言葉
 21世紀に入った今日、テロの応酬、弱肉強食、勝ち組負け組みという言葉が氾濫している。「負けるが勝ち」など言おうものなら、張られた負け犬のレッテルは終生はがれることはない時代なのだ。
 アメリカの一人勝ち
 今「負けるが勝ち」といえる立場にあるのは、一人勝ちのアメリカしかない。アメリカ以外のどの国が言ってもそれは負け惜しみでしかないことがはっきりしているからだ。ブッシュを背後から羽交い絞めにし、負けるが勝ちと止めることが出来るのは、アメリカの市民しかない。それを聞き入れ自ら軍縮の範を示すアメリカ、それは敗北ではなく、とてつもなく大きな勝利なのですがね。所詮、真夏の夜の夢か。頼みますよアメリカ市民のみなさん!
 アメリカの新聞に投稿してみようかと書いてみたのだが、その気はない。