随 想(思いつくまま)

(7/12) 日記を焚く
 焚き揚げ屋
 一人の人間がその生命を終えると いろいろの職業の人の訪問がある たきあげや(”焚き揚げ屋”という字を当てるのだろうか)という職業をご存知だろうか 残った家財を一切合財引き取って処分しますという職業らしい
 ウンチか絹糸か
 人間何年か生きていると色々なものが溜まる これはウンチのようなものだという 日記などその最たるものだ まさにウンチに埋もれて生活しているのが我々老人である しかし生前の作品を一堂に集めた美術館など出来ると これはウンチというより蚕の紡いだ絹糸という方が適切かも知れないなどと思ってしまう 
 想い出は限りなく
 高校時代から日記をつけて来た 古い日記は読み出すと切りがない 戦後初めての日米野球の入場券(200円)を貼ったページがある 徹夜で並んだのに100円の券は売り切れだという 懐には100円しかない 見かねた後ろの紳士が出してくれた ジョニープライスの野球曲芸などあの日の思い出は際限なく広がる
 日記を焼く
 還暦の歳ともなれば自分はとても蚕バージョンでないことを悟る 日記は自分の骨肉の一部になっており 残骸に過ぎないと悟る 自分史を書いても自己弁護の域を出ないことも悟る 古い日記を毎日読んで過ごす生活を思っただけでヘドが出る 残された者も処分に困るだろう 或る日 全部をシュレッダーにかけた
 身軽に旅立ちを
 何かを処分することは何かを取り込む余裕が生まれる それは恰もCPのメモリー容量に似ている 進取の気鋭も湧いて来る しかし現実身の周りはウンチの山であり 頭脳の容量はパンク寸前だ 身一つでの彼岸への旅立ちはなかなか至難である