随 想(思いつくまま)

(6/4) 池澤夏樹を読む

池澤夏樹を読む

池澤夏樹の講演会を開くことになったので、著作を集中的に読んだ。中央図書館の棚に並んでいたものを全部読んだ。書庫にもあるだろうが、いちいちパソコンで検索し取り出してもらう手間が煩わしく、これには手をつけていない。そもそも私の読書歴は貧弱で、読書が趣味の中に加わったのは定年後である。しかし過去に或る一人の作家の全作品を読んだ経験(それはシャーロックホームズだが)もあって、作者の全作品を読むのことの面白味は知ってはいる。シャーロックホームズの場合、彼(コナンドイルか)の「罪を憎んで人を憎まず」 という哲学が物の見事に浮かび上がってくる。

さて池澤夏樹を読んで浮かび上がったものは何かと問われても、ワンフレーズで表現できるまでには至っていない。すべて面白く読んだし、魅力にあふれた作家であることは間違いない。その魅力は何か整理しておきたいと思う。

先ず「静かなる大地」を読んだ。これは、これを書いておかなければ物書きとして旅立ち出来ない気持ちだったろうと思う。そんな思いが伝わってくる。誰もが異なる生い立ちや出自を持ちながら、記録を残すことなく死んでゆく。これがこの世の常だ。彼の場合、征服された民族(アイヌほか)など大きな歴史の中に自分を置くことなくして、前に進めなかったのだろう。「パレオマニア」にしても、征服者と被征服者の視点が底に水脈として流れている。

彼はコスモポリタンである。北海道をスタートに順序は調べていないが、ギリシャにフランスに沖縄にと各地に生活に拠点を移動し移り住んでいる。旅行記ではなくその地での生活実感が作品の魅力となっている。

彼は自称哲学的無神論者だそうだが、往々にして“神の手”を借りる。霊とか巫女・イタコ・ノロの類に語らせる。「マシアス・ギリの失格」「キップをなくして」など然り。「・・ギリの失格」の場合の“乗合バス”は私にとってはやや消化不良だったが、洒落ているのだ。

文学オタクは概して科学に弱いというイメージがあるが、彼の科学への憧憬と知識は半端でない。理論物理学的記述には説得力があって感心する。「星に降る雪」を読むと良く分かる。

彼は「ステイル・ライフ」で芥川賞を受賞した。私はその前に発表された「夏の朝の成層圏」で、彼の実力を認めた選考委員が贈り漏れにならないよう急いで贈ったように思われてならない。実際の選考過程までは知らないのだが。

私は「光の指で触れよ」を先に読みその後で「すばらしい新世界」を読んだ。書かれた順序は逆なのだが両者の見事に連携しておりで感心した。小説の中では一番面白く読んだ。続編を待ち望んでいる。

小説のほか多くの随筆が単行本になっている。執筆時の時々の文明批評が一般市民の良識と言ってよく心地よい。それは小説にあっては主人公の口から洩れるものであったり、読書で得た啓示であったり、外国から日本を見たひらめきであったりする。多くの読者をひきつけてやまない大きな要素であろう。
 彼はまた偉大なる読書家であり、世界文学全集を自ら編集発行している。読書に関する随筆を集めた単行本も多い。定年後漸く読書の面白さを知った私には荷が重すぎる。

最後に「カデナ」についてひとこと。集中的読書のきっかけは「カデナ」がベ平連を取り上げているいう話題からだった。読み進むうちに、とかくスパイ小説やレジスタンス小説の類は、このままでは誰か殺されるなと思わせる緊張感が付き物だが、「カデナ」は国家を敵に回したとてつもない大きなこと(反戦活動なのだが)を、牧歌的な日常生活の中でやってしまう。著者は平和だ反戦だ組織だデモだと大騒ぎすることなく軽くやろうやというメッセージを発しているのだろうか。政党や組織体ができなかったことを市民はやってのける、ベ平連がいい例である。これはベ平連へのオマージュか。

 蛇足
 講演会主催者「市民の意見30の会東京」との関連で若干敷衍する。
憲法関連では、憲法前文が悪文ならば美しい日本語で書いてもらおうと、白羽の矢が立ったのが彼であり、それを引き受けている。また、今会で進行中のニュースCDーROMのラベルデザインのパラオの玉砕の島ペリリュー島を訪れた文章もいくつかある。殺すなバッジをデザインした岡本太郎と沖縄に関する鋭い論評もある。沖縄に住み、その地に溶け込んだ人でなければ書けないものである。

 メモを取りながら読書する習慣がないため、もっぱら記憶をたどっての記述になった。多くのことを書きもらしたような気がしてならない。

読んだ本

むくどりの巣ごもり、インパラは転ばない、きみのためのバラ、風神帖、雷神帖、

セーヌの川辺、見えない博物館、海図と航海日誌、きみが住む星、パレオマニア、

アマバルの自然、叡智の断片、星に降る雪・修道院、静かなる大地、 光の指で触れよ、

すばらしい新世界、夏の朝の成層圏、ステイル・ライフ、マシアス・ギリの失脚、

キップをなくして、


池澤夏樹・吉川勇一 講演会
日時   2010,6,16(水)  18:30〜21:00
場所   千駄ヶ谷区民会館(東京・澁谷/JR原宿駅から徒歩7分)
参加費  800円(資料代として)
テーマ   『カデナ』を記してーー40年あとのベ平連(池澤)
       鶴見俊輔さんの「小田実の組織論」について(吉川)