随 想(思いつくまま)

(5/6) 豚インフルのこと、憲法のこと
 メキシコで豚インフルが席捲し、テレビは空港での水際検疫の模様を連日報道している。やはり国家って必要かなと思う。また、自分の子どもを殺された親が、復習したい気持ちを抑え、犯人の処遇を国家に一任する仕組みが機能している限り、国家という仕組みも人間の知恵かなと思う。反面、エイズやハンセン病にたいして国が取った政策をみると、国家は悪魔以外の何者でもない。時には国家という怪物はとんでもないことをしでかすのだ。国家の暴走を止める掟たる憲法を無視して。違憲審査を担当する最高裁もグルになってだ。
 個々の人間に自衛権があることに異論を唱える人はいないであろう。これが法人つまり法律で人格を認められているものまで拡大すると色々な問題が発生する。法人たる会社って何だろう。経営者あり、株主あり、支える従業員あり。それらの利害関係が微妙に働く。国家になると尚更である。幸せな生活を送れるのも国家に守られているからだと誰もが信じている。しかし、国家って目に見えない形のないものが自己増殖し、どんどん大きくなり、自衛権を主張し出すとわけがわからなくなる。国家には自衛権があるという理由で軍隊を持ち、国民に命を捨てよと命令を発するようになると、国家が必要だというのは幻想であることに気がつく。軍隊は国民を守るものでなく、得体の知れない「国家」を守るためのものだからだ。(日本人を見殺しにして一番早く帰国したのが関東軍の将校達であったことを忘れてはいない。)個別自衛権にしろ、集団自衛権にしろ、武力によって守るという考えをとる限り、国の自衛権を否定しなければ国民の幸せはない。
 戦争できる国にし、自衛権を行使し、守ろうとしている国家っていったいなんだろう。21世紀は、国家を否定しないまでも、武力によらないもう一つの道を模索する世紀となるだろう。こんなことを考えながら、3日の憲法記念日集会に出席し、銀座をデモって来た。