随 想(思いつくまま)

(5/24) 季節料理の店「千春」のこと
 開店50周年おめでとう
 「千春」とは新橋にある季節料理の店である。開店50周年企画のお知らせがメールで届いた。定年退職後は都心に出ることも少なくなり、店に寄ることも殆どなくなったのだが、和子ママとの年賀状の遣り取りは今も続いているし、板前の秀ちゃんからは時々メールが入る。今日は久しぶりに足を運び青春の追憶に浸った。
 都電乗り換えが縁
 千春との付き合いは50余年遡る。1950年、高校を卒業し、日本橋にある会社に就職した。独身寮は六本木にあり、通勤は都電で、必ず新橋で乗り換えであった。当時の新橋駅前は場外馬券売り場があり、夜通し人の絶えることない不夜城であった。都会の喧騒とエネルギーに魅せられ、その渦中に身を置き、わざと終電を見送り六本木まで歩いて帰ったこともあった。そのころ広場には何台かの屋台が出ており、おでんの「カズちゃんの店」との出会いだった。
 焚き火とイヴの思い出
 冬の駅前広場は焚き火で暖を採り夜を明かす人たちがいた。焚き火に当たるには燃やす物を持って来なければならない厳然たる掟がある。カズちゃんに相談したら「タバコを一本づつ配ったら当たらせてもらえるよ」と教えてくれた。おでんを食べ、安い酒を飲み、タバコを配って焚き火を囲むことを粋がっていた頃を思い出す。また、あの頃の東京のクリスマス・イヴは街頭に人が溢れ、屋台にとってかきいれ時と思われるのだが、何故かカズちゃんの店は出ていないのだ。「イヴの時ぐらい子供たちと一緒にいてやりたいから」と聞いて感動し、またカズちゃんが二人の子持ちであることを知った。
 烏森小路時代
 その後何時の間にか屋台の姿が消えた。焼き芋や屋台のおっちゃんに尋ねたら「あのガチャメなら店を出したよ」と教えてくれた。あの美貌をよくもガチャメとはと思いながら再会をはたすことができた。当時の小路は都市再開発のため巨大なビルに生まれ変わり、今は跡形もない。思えばあの小路に店を構えた日から50年の歳月が流れたのだ。
 季節割烹に変身
 店の移転を機に長屋の小料理屋から、専属の板前を擁する粋な日本家屋の季節料理の店に変身を遂げたのだ。千春という名は娘さんの名前である。しかしこの店も師走のある日、隣の蒲団屋からの貰い火で全焼するのである。その後今のビル3階に移り、盛況を持続している。3階まで足を運ばせる魅力は何だろう。第一に料理が美味しいこと。時の経つのを忘れさせるおもてなしにある。青春の一杯詰まった店が今なお健在である我が身の幸せをあらためて思った一日であった。