随 想(思いつくまま)

(5/16) マヤ文明展とグアテマラの思い出
マヤ文明展を観る
 マヤ文明展を観るため 久しぶりに上野の森に足を運んだ 展示はコパン遺跡の出土品が主であった(コパンはグアテマラではなくホンデュラスにある) 94年ピースボート地球一周の船旅の際 サン・ホセに入港、首都グアテマラ・シテイから空路テイカル遺跡を訪れた 私のマヤ文明との出会いである 
テイカル遺跡の思い出
 グアテマラの国土(日本の約3.5分の1)の至る所にマヤ文明の遺跡がある その中でもテイカルは最も大規模な遺跡として知られている 熱帯雨林が遺跡を覆い隠しており 掘ればまだまだ未発見の遺跡があるとのことだった 石を積み重ねて造られた巨大な神殿はジャングルに聳え 頂上からは熱帯雨林を睥睨することが出来た(神殿の頂上まで観光客は自由に登ることができる 日本では考えられない大らかさである) 宿泊したホテルの庭の木には ハチドリが羽ばたきながら蜜を吸っていたし 夕暮れ時には湖畔に蛍が飛んでいた ホテルの汚水が湖に垂れ流され環境保全は万全だろうかと気になったことを思い出す
グアテマラの悲劇
 私がグアテマラの国内事情を知ったのは船内での学習会であった 
 グアテマラは1960年代以降 深刻な内戦を経験し 36年間に20万人を超える死者行方不明者を出し 国内避難民150万人 国外難民は15万人以上といわれ その大半が先住民族マヤの人々であった ピースボートが訪れた94年はまだその余燼がくすぶっており 首都グアテマラ・シテイの街の至る所に銃を持った自警軍隊の姿が見られた 92年度のノーベル平和賞は先住民族の女性リゴベルタ・メンチュウが受賞した 彼女は暗殺の脅迫を受けながらも 「つれあいを亡くした女性たちの会:コナビクア」を中心に先住民族の声を代表する形で活動してきた 
 (ピースボートはコナビクアに四輪駆動車2台と足踏みミシン20台を贈る予定だったが この計画は厳しい政治情勢のもと不可能になり ミシンは職業訓練校に贈られた)
 マヤはギリシャやローマに先立ち 数字ゼロの概念を既に発見していたと言われている(ゼロの概念は6世紀にインドで発見されたと言うのが通説だが) このような高度の文明も1500年代のスペイン人による侵略のため 根こそぎ崩壊した この民族の呪われた悲劇を嘆じざるを得ない

 (その後 96年に政府と左翼ゲリラが平和協定に調印し 武力紛争自体は一応終結をみ現在に至っている)
  会場:国立科学博物館のHPへ