随 想(思いつくまま)

(3/30) プークのT氏に会う
 こまつ座公演「人間合格」を観る
 新宿のサザンシアターで井上ひさしの「人間合格」を観た 
手に入れにくいと定評のこまつ座の切符だけに妻は楽しみにしていたが あいにく孫のピアノ発表会と重なり 私が代わって行く事になった 舞台の方はいまいちだった こちらの感受性が錆付いたのかも知れない (太宰治入水の地点が我が家から歩いて15分の所にあり 墓はさらに10分南に行った禅林寺にある 彼については6月の桜桃忌もあることだし今は触れない)
 人形劇団プークを訪ねる
 終演後、会場近くにプークの劇場があることを思い出し このところ会ってないT氏の消息を聞くため立ち寄った すでに現役を退き非常勤の身ながら 運良く出勤しておられ、会うことができた 氏との付き合いは40年ほど遡る 松江労演事務局長時代 Tさんは劇団の営業担当、公演の売りこみ、のみならず 観客組織を地域ごとに作るオルガナイザーとして、また公演が決まれば会場や宿の確認などのいわゆる”先乗り”役として 地方を回る日々だった
 松江労演は火の車
 当時松江労演の会員数は500名前後で公演採算ラインの1000名にほど遠かった また累積赤字を抱えており劇団へのギャラも満足に払えない状況であった 幸いプークにはギャラを全額支払ったが 次のぶどうの会公演ではギャラが払えず(今だから言えるが「劇団に全額支払う馬鹿が何処にいる」と他の労演から入れ智恵されたからなのだが)劇団との交渉は延々と続き 夜がしらじらと明けたこと鮮明に記憶している その後間もなくぶどうの会は解散し借金もウヤムヤになったように思う(後ほど”追っかけ”をすることになる出雲出身の俳優坂本長利との出会いはこの時だった 坂本長利についても書きたいが別の機会にゆずる)
 お互いに若かった
 当時私は新婚早々であったが、夜もサークル作りに東奔西走し 長女が生まれた頃も湯をつかわせらすぐ券売りに出かけるという毎日であった 見るに見かねた義母に意見されたり 仕事もそっちのけで周囲に随分迷惑をかけた Tさんは「(知人の)”晩酌付き”宿に泊まりながら 地方を回る毎日だった」と お互い夢中に過ごした頃の想い出は尽きることがなかった 
 三代の付き合い
 長女長男とも小さい頃からプークの人形劇を見せたし 数年前 孫も連れて行った しかしプークとの縁は義理で続いているのではない あくまで いつ観ても楽しい いい舞台を見せてくれる信頼関係である
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