随 想(思いつくまま)

(3/28) 平櫛田中館を訪ねる
 木彫の巨人
 どうも朝起きるのが苦手である 低血圧のせいにしているが残り少ない人生と言いながら 昼近くなって床を離れるのだから だらしないのか ぜいたくなのか分からない
 新聞の片隅に平櫛田中館の記事を見て 急に思い立ってを訪ねた かねてから一度は訪れたいと思いながら果たせないでいた 館は小平市の一橋大学国際キャンパスの隣り 玉川上水に面して在る 数え108才で亡くなるまで製作を続けられたアトリエや住まいがそのまま残され 展示館が隣接して建てられている
 108才の意味を思う
 正門を入るといきなり樹齢500年、直径約2メートルのクスノキの大木が置かれている ほかにも大量の材料が残されていたそうである まだまだ製作の計画がぎっしり詰まっていたらしい 晩年地唄舞の武原はんさんを製作する強い意志を抱きながら未完に終わったと説明もある
 名作「鏡獅子」は完成まで戦争を挟む20年の歳月をかけている 年譜を見ると20代前半で当時は不治の病といわれた結核を患っていることからも 自分の肉体に絶対の自信があったとも思われないが 自分は120歳いや150歳までも生きると思っておられたのではないかと思ってしまう その悠々迫らざるペースに圧倒される
 「七十八十ははなたれこぞう 男ざかりは百から百から」との書を前に ああ七十一になった あと数年内に死ぬ確率は半々ぐらいかなど思いながら生きている私は うむと唸ってしまった
 首狩り族の夢
 私は20歳頃、縁あって日展作家岸崎夜光氏のアトリエに通った時代があった 裸婦のモデルを描く勉強会が主であったが 彫塑のトリコになった いまでも粘土三昧の日々を送りたいという夢を捨てきれないでいる 全身像の製作は無理としても せめて頭像中心の”首狩り族”に
 蛇足ながらその頃の記憶としては平櫛田中はすでに古典的大家で 木彫では円鍔某の作品に惹かれていたように思う また二大巨匠朝倉文夫と北村声望では後者により惹かれていたように思う 近くの井の頭公園に足を運べば声望の作品を心行くまで堪能できる恵まれた地に今私は住んでいる