随 想(思いつくまま)

(3/24) ボランテア私考

 町内にある高齢者ホームで週1回ボランテア活動に携わっている。

先日ボランテア感謝の集いがあった。その際半ば余興?として「ボランテア活動を漢字一文字で表すとどんな漢字を思い浮かべますか?」という設問が出された。その解答は次のとおりである。

 会、愛(7)、彩、歌、縁(3)、思、想(2)、温(2)、火、懐、鏡、活(2)、仮、環、喜、絆(2)、寛、継(2)、結(2)、健(2)、遣、互(7)、幸(5)、心(11)、支(2)、慈、謝、少、信、尽、善、空、孝、暖、力、聴、繋(3)、常、手、共(2)、波、馳、花、春、光、必、人(2)、歩、補、満、奉(2)、無、廻、優(3)、楽(15)、

連、輪(5)、和(6)、笑(9)、童

ベストスリーは 楽、心、笑である。(  )は回答数

 これらの文字にはそれぞれ「その心は・・・」と説明があるのだが総じて活動に意義を感じているプラス思考が窺われる。喜ばしいことである。その中に「仮」と言う字がある。これだけではその心が分かりにくい。その心は「タダ働きが美徳である筈がない。本来の姿ではなく百年後の社会を見てみたいものだ」と説明がある。必ずしも全面的にボランテアを肯定していない数少ない解である。

 今日の高齢化社会の到来は早くから予想されていた(人口予測は株価の予想とは違いほぼ正確に当たる)。しかし何ら有効な施策が立てられず、現実の後追いに終始し、来るべくして到来した今の社会を迎えている。誰に責任があるのだろうか。有効な施策を講ずるには金がかかる。消費税の導入に10年を要したように誰でも自分の懐が痛むことには賛成しない。不評な政策を掲げて選挙に落選する馬鹿はいない。金、人、物が高齢化社会のシステムに追い付いていないのが現状である。

 現在高齢化社会のあるべき理想の青写真も描けず、何がどの程度不足しているのかも分からない試行錯誤の状態である。おそらく百年後の社会は今より租税の負担比率が高くなり、必要な部分に金が回り、労働に正当な対価が支払われるようになっている事だろう。労働に価値が認められるまでに、先人たちの血のにじむ闘いがあって今がある。今は過渡期であると思いたい。

 ちなみに上記「仮」の一文字を書いたのは他ならぬ小生である。