随 想(思いつくまま)

(2/18) 遍路の話キャンセルに思う
 遍路に対する高い関心
 2回目のお遍路で愛媛県を打ち終え、帰宅したころ、近くの大学のT先生から「遍路の話に関心がある。機会を作るからぜひ話を聞きたい」という話があった。私は「いいですよ、ただ今度の遍路はただの遍路ではなく、改憲反対のキャンペーンという動機と目的を持って廻っているから、それに触れないわけには行かないですよ。それでもよかったらいつでもお話しますよ」と返事をした。その後具体的に場所と日時の連絡があり、お酒を飲みながらざっくばらんな会になるだろうという事を聞いたうえで、3回目(高知県)のお遍路に旅立った。
 しかしこの話は当日を数日後に控えて、あの話は白紙に戻してほしいという趣旨の連絡があり、実現しなかった。それについて書く。
 日常と異次元の世界
 遍路に対する憧れに似た関心の高さはどこに起因するのか、どんな話をすればよいのかななど考えながら、土佐路を歩いた。結局行き着いた結論は遍路の魅力は日常性からの脱却にある。誰も日常とは違う世界にある種の憧れを抱いている。小説、舞台、映画、ドラマに触れてその主人公になり、旅に出て日常のしがらみから開放される。まさに遍路は日常性からの脱却であり自己解放なのだ。それも現世の日常性を越えて彼岸の世界を旅する面白さがある、と私は思っている。何故彼岸か、そんなことを中心に話せばよい、憲法論議する気はさらさらなかった。
 改憲の話は政治の問題か
 企画が流れた理由は@人それぞれ都合があり集まらなかったことA自分も急用で出席できなくなったという説明であった。しかし、当日になって「今飲んでいるから、すぐに来ないか」という招きを受けたのである。当のT先生もいるという。企画が流れた理由は全くの嘘であることが露見した。ではなぜこの話しが流れたか。それは集まりが遍路の話ではなく改憲是か否かという場になることを危惧したのではないか。是はあくまで私の邪推である。遍路は仏に帰依して自己を無にする旅、つまり素直な謙虚な自分になることである。真実を隠して表面を繕う人に、遍路を話すことのむなしさを感じて招きをお断りした。
 政治はタブー?
 話は飛ぶが、戦後の経済成長を支えた職場・社会環境は、政治の話は悪であり、それを避けて、ひたすら人の”和”を重んじて来た。それは公平の追求でも思想の自由でもなく、国民を政治音痴に追いやり、いまの日本ができあがった。憲法改正は政治の問題か?とんでもない。憲法が変わればすべての法律が改正され日本は一変する。まさに日常生活そのものが変わる。切迫感はまだない。それでよいだろうか。