随 想(思いつくまま)

(12/18) 「紅陵傘寿」、「しろたま」そして古野先生
一双会たより原稿(最終稿)

「紅陵傘寿」・「しろたま」そして古野先生

                  野津功  別部松彦

 今年(平成25年)の6月、同期4人で小冊子「紅陵傘寿」を作成した。本書は太田陽治君の提案、「一昨年、母校赤山訪問の折、新起雲館3Fの第1期の棚窓に“戦争のためなし”の手書きの貼り紙を見ていたく落胆した。傘寿を記念に同期3人に呼びかけ、出来上った」(以上一双会ホームページ「はなしの広場」より抜粋)によるもので、太田陽治君の油絵、野津功の木版画賀状、長谷川威君の俳句、別部松彦君の版画が収録されている。それに郷土の偉大なる木版画家平塚運一画伯の作品3点を、許諾料を支払い掲載し、箔をつけ、遊び心でページを開くと4人の肩組み姿が立ち上がる”しかけ絵“が入っている。

 本の題名「紅陵傘寿」は長谷川君の巻頭短歌「の顔  のおのこ等今は早や の字賜ふ 寿の齢」で、すっきり決まった。3回の編集会議で遠慮のない意見、注文を出し合い、表紙は別部君が旧松江中学校正門を彫り、「まえがき」を太田君が、「あとがき」を野津が書き、70ページ余の康熈綴じ和本、40部が出来上った。

000外観(トリミング済み).jpg外観

   しかけ絵

目  次

まえがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3

しかけ絵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・4

巻頭短歌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6

表紙のことば・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7

名画鑑賞(平塚運一作品三点)・・・・・・8

太田陽治のページ・・・・・・・・・・・・・・・14

油絵との出会い・油絵十点

野津功のページ・・・・・・・・・・・・・・・・・28

私の一里塚・賀状十点

長谷川威のページ・・・・・・・・・・・・・・・40

俳句昨今・俳句六十句

別部松彦のページ・・・・・・・・・・・・・・・58

わたしの楽しみ・版画十点

あとがき ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・70

                




















         目次(実物は縦書き)

 部数に限りがあり広く配布する事が出来ないため、公的配布先として、松江北高図書館、松江市立中央図書館、一双会各支部(首都圏、関西、松江)、古野由男先生ご遺族(経緯は後述)、平塚運一版画美術館に納本、閲覧希望者の便に供した。(国会図書館は部数が少ないことを理由に断られた。100部以上が一応の目処らしい。)なお、後述の「しろたま復刻版」とともに納本した北高図書館鳥屋尾部長からの礼状には、9月5,6日の文化祭で、「・・・文芸部の展示コーナーで文芸部生徒の作品集とともに展示させていただきました。文芸部の生徒達は、数十年前の大先輩の作品を目にすることができ、驚きとともに興味深そうに読んでおりました。めったにないよい機会を与えていただきましたことに重ねてお礼申し上げます。・・・」と記されていた。嬉しい限りである。

 今年10月の一双会総会の席上、中沼君の肝煎りで、上映の栄に浴したのは4人一同、望外の喜びであった。

その後、本書を別部君が木版画家、川井一玄氏に贈呈したことから、氏の手許に「しろたま」の全冊(1〜6号)が保存されていることが判明、「しろたま」の復刻から、古野由男先生ご遺族の消息判明へと意外な展開を見るのだが、その辺の事情は別部君に記してもらおう。

 古野先生は1909年東京生まれ、1932年東京美術学校(現芸大)卒、島根県立今市高女、三刀屋中学、松江中学、のち松江高校、京都市立堀川高校、同紫野高校で教鞭をとられた(松江高校の在任期間は1949〜51年)。

    古野先生.jpg 

 その後60年には京都銅版画協会を創設、没年まで主宰、77年、肺がんで逝去、享年68歳であった(以上遺作銅版画集より抜粋)。京都銅版画協会は2013年1月、第51回協会展を開催するなど、多くの人材を輩出、活動が続いている。

先生のニックネーム“モンタ”は美術の授業で“モンタージュ”を頻発したことに発していると聞いているが、名付け親が誰かは寡聞にして知らない。

 稀代の熱血先生の功績をNHK西宮支局が取り上げ、京都、松江各支局の協力のもと全国放映されること、これが来年の私の夢である。

思えば太田君の提案は予想外の広がりを生み、あらためて恩師のご恩、クラスメイトの友情に感謝している。

                    (以上野津記)

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野津君から「紅陵傘寿」が送られてきた。細かい注文を忠実に拾い上げてもらい感動した。早速近くに住む同期の伊藤敬君に贈呈したところ大変喜んでくれた。地域の版画仲間からは異口同音に「良い友達に恵まれて幸せだね」と羨ましがられた。また版画家の川井一玄先輩に送った。

川井氏は安来市在住、松江中学1年上級、古野由男先生の愛弟子。現在、日本版画院会員として活躍中で、毎年上野の都美術館での版院展に大作を発表し、受賞もしている。氏は私と同じ東部汽車通という縁で、上京の折にはお会いし、千葉県内の版画家を紹介してもらうなどしていた。最近ではこの10月、安来市プラーナで盛大な個展を開催された。

氏からの礼状に「しろたま」の全号を今も宝物として保管している旨の添え書きがあった。「しろたま」を復刻したいとの希望をかねて野津君から聞いていたので、早速、借りたい旨申し入れたところ快諾してくれた。

復刻版は野津君の手で、上巻(1〜4号)、下巻(5,6号)計 約260ページ、B5版、麻の葉綴じ和本として出来上った。巻末には全寄稿者の名簿とその掲載通しページが付いており、寄稿者は12名の先生方のほか、2年先輩から3年後輩まで広範に及ぶことが判る。同期の懐かしい顔また顔、著名な詩人入澤康夫氏などが目に浮かぶ。

  しろたま上下冊子.jpg(外観)

復刻版は松江北高図書館、松江市立中央図書館へ野津君から納本された。本を眺め、ページをめくるほどに「是非とも古野先生の御仏前に届けたい」という思いが野津君とともに強くなった。そこで川井氏に相談したところ、先生の長男ご夫妻が西宮市に在住しておられることが判った。そして、本人に紹介して下さった上、住所電話番号を教えてもらった。

 しろたま復刻版と紅陵傘寿を郵送するに先立ち、知らせてもらった電話番号のダイヤルをプッシュした。初対面の古野由光(よしてる)氏は「しろたま」のことはよくご存知で、「父からは『しろたま』は多くの教師、生徒の協力があってこそできたものだと聞かされており、父も大変誇りにしていた」と話され、65年ほど前のことなのに、会話の中で中塚、坂根、落合君などの名前がポンポン出てくるほどよく記憶されているのに驚いた。

後刻、届いた礼状には、「拝復『しろたま』復刻版及び『紅陵傘寿』お送り下されありがとうございました。立派な製本で感動いたしました。早速仏前に供え報告させていただきました。没後35年にもなりますが、この様に大事に思っていただき、亡父も喜んでいる事と思います。昭和21年、私は三刀屋中学校1年生で、父は単身赴任にて時折帰宅しておりましたが、その時『しろたま』1号を見て、“しろたまなのに赤い玉とはこれ如何に”と父に冗談を言った記憶があります。・・・」と記されていた。しろたま1号の表紙は上記川井氏の作で、右上部に小さい赤い円形が描かれているのを見て、言われたと思われる。

先生のご遺族が西宮市に在住ということが分かった以上、関西在住の同期生に知らせた方が良いのではないかとの思い長谷川君に相談したところ、彼から苅田運三郎一双会関西支部長に伝えてくれた。仲間うちでは、機会があれば遺族の方を会合に招待しようという話も出たと聞いている。

先生は生徒の持つ能力を引き出し、伸ばす素晴らしい教育者であったが、「しろたま」には特に情熱を傾け、指導されていたことを再認識し、感謝の念を新たにしている。

                    (以上別部記)