随 想(思いつくまま)

(11/3)
2冊の本との邂逅
 

 四国遍路の旅立ちを前にして二冊の本と出逢った。

一冊は「GEFANGEN IN FERNOST」である。浅学にしてこの意味が分からないが、内容は“極東の戦争捕虜、ヴェルツブルグ商人ウイリアム・ケベアライン六年間の体験”とある。

ある日曜日、市中央図書館の前を通りかかったところ、“ご自由にお持ち帰りください”と書かれた青空展示コーナーが設けられていた。なにげなく手に取ったのがこの本である。表紙の若い軍人姿が私に呼びかけているように思われたからだ。中はドイツ語で書かれているから全く分からない。しかし、どうやら徳島板東のドイツ人捕虜収容所のことが書かれているらしいことが分かった。

近く四国遍路に出る予定の私の頭に、あの一番札所近くのドイツ館のことが目に浮かんだ。第1次大戦のドイツ人捕虜が、理解ある日本人収容所長のもと、独立国とも言うべきコロニーが作られ、地域住民との交流が生まれた捕虜生活があったことは知っていた。心ばかりの喜捨をしてこの本を譲り受けた。荷物にはなるが今回の四国路の第一歩にドイツ舘に届けることとしよう。当館の蔵書に既に所蔵されていることはほぼ自明だが。

もう一冊の本は『「お(さつ)」にみる日本仏教』である。

毎週日曜日、市中央図書館には新規購入の蔵書が展示され、一人2冊限定で貸し出される。この本は私を待っていたように展示ブースに残っていた。これまた遍路旅立ちを前にした格好の読み物である。著者はベルナール・フランク、訳者は夫人の仏蘭久淳子とある(発行所藤原書店)。

まだ読了していないが、色々の仏様が紹介され、それを「お札」で立証しながら説明されている。札所で頂く御影(みえ)も従来にもまして楽しくなると言うものだ

身は歩くこと、口は憲法9条を唱えること、意は平和を願う心の“三蜜”で今回の遍路に出ようとひとりごちている。

以上2冊との邂逅は必然であり偶然ではない。しかし、仏に帰依し旅に出ようとしている私にとっては、仏の導きと感じるのである。今度の旅でも多くの事象の裏に仏様の存在を信ずる遭遇が待っているようで心が逸る。