随 想(思いつくまま)

(10/23) 常任理事国入り私見(2)
 メールによる意見、反論が一段落したので、現在の所見を書きます。寄せられた意見、反論は省略しますが、読んでもらうと分かると思います。

 国連が戦勝国によって作られたことは承知しております。また今の国連が軍事行使を正当化する機関になっていると云う判断にも異論はありません。しかし軍事行使を容認する国連憲章と徹底的非武装の日本国憲法は別物だ。国連以外の機関の充実には賛成だといわれてみると、「理事国入りに反対」と云うより「国連の否定」か、それでは私と話の土俵が違うなと戸惑いました。

 国連憲章も日本国憲法も大きな戦争を終えた時点の反省から生まれました。戦争のない世の中を望み、曲がりなりにもいまの憲章が出来たと思います。しかし、時は移り、日本は軍隊を持ち、国連は以前にもまして大国のエゴがまかり通っています。その点で、九条実現は原点回帰の運動だと思います。そして国連という存在は、各国の公式な意思表示の場としては最もオーソドックスな場であり、国連の存在を否定することは国連解散、脱退まで行ってしまい(ちょっと乱暴)、私は賛同できません。

 国連常任理事国入りは現状の国連に荷担することだ、また政治大国指向の道だといって反対するのはもっともです。しかし、国連で発言力のより強い立場から平和へのメッセージを発信する道を探るのは本筋だと思っています。憲法九条を変えないことを国際公約に常任理事国入りを表明しても、一票を投じてくれる国はありません。なぜなら日本はすでに立派な軍隊を持っているからです。「なにが平和憲法だちゃんちゃらおかしい」と言われるのがおちでしょう。そこで主張を実現するためには毎年軍事予算を減らし、縮軍し、軍隊がなくなった時点でようやく認知され、多数国の投票を得て、軍隊を持たない国の常任理事国誕生という画餅が現実のものとなるのです。おそらく私の生きているうちには実現しないでしょう。国連中心主義といわれてもあえて反論しませんが、軍隊を持って常任理事国として活躍しようとする小沢論とは、軍隊を持たない国として理事国入りをめざすという私の夢は全く違います。

 現実無視、観念論と言われようとも、これからも当分この夢を見続けることにします。ご教示ありがとうございました。 

 反体制側への提案ですが、利敵行為となり兼ねないので、これ以上強く主張する気はありません。