随 想(思いつくまま)

(1/31) 「影武者徳川家康」を読む
 影武者の存在
 サダムフセインが捉まった。本人か否かはDNA判定により間違いないと、当局は発表している。今はそういう時代か。権力者に影武者はつきものである。徳川家康は関が原の合戦で戦死(刺客に殺害され)したとし、以後は贋者たる父家康と次男二代将軍秀忠との壮烈な暗闘が繰り広げられたというのが本書の梗概である。影武者の根拠は著者隆慶一郎の「あとがき」に譲るが、説得力ある展開である。
 邪魔者は消せ
 ”気に入らない者は殺してしまえ”は今も昔も洋の東西変わらない。アメリカのイラク侵攻然り。戦に勝つか負けるかは諜報機関の優劣が握っている。”忍び”の世界である。近代兵器で戦闘が展開しているように見えるが、CIAという”忍び”の力が戦の鍵を握っている。対するゲリラという忍びの力も侮れない。徳川の時代も今も変わらない。
 聖徳太子は実在したか
 晩年の家康が別人であったと言われても、私にその真否を判断する力はない。話は飛ぶが、最近読んだ大山誠一編「聖徳太子の真実」によれば、聖徳太子なる人物が実在の人物でないことは、今や古代史の通説のようだ。何故聖徳太子という人物を創出しなければならなかったかに論点が移っているという。歳月が真実を焙り出すとは言え、歴史には判らないことが一杯詰まっている。