随 想(思いつくまま)

(1/31) 「真説・二宮金次郎」を観る
  
 池袋の東京芸術劇場で「真説・二宮金次郎」を観た。過日、高校時代のクラスメートN君から現在この劇上演に関わっていると知らされ、早速、券を購入し足を運んだ。相変わらず池袋駅はわかりにくい。西にあっても東武といい、西武は東にあるは是いかにである。
 会場には45分前に到着した。開場を待つ行列は後期高齢者が主流であるのにびっくりした。それはともかくN君が公演の赤字を心配していたのでひとまず安心した。
 私の少年時代は、小学校には天皇の御真影を奉納する奉安殿と金次郎の銅像が
あり、彼を富国強兵のお手本として育った。公演のリーフレットには「現代が求める世直し男」と副題が付いている。”世直し”という言葉はクサイ。情報が権力の側から発信される場合には「全ては心の持ちよう、私心を捨てて努力してこそ住み良い社会が」と言われ、権力者は免責され、悪い奴ほどよく眠るのだ。
 二宮金次郎の人間性にスポットをあてるか、彼の採った政策にスポットを当てるかにより舞台は別のものになる。人間にスポットを当てたこの舞台は、ややもすると現代の閉塞状態を破る英雄待望になり(インフレはヒットラーを登場させた)、戦時中、彼を利用した手法と紙一重なのだ。その辺がクサイ所以だ。
 彼の主張は正論である。農業と言う生産者はまさに実業である(金融などの虚業の対極にある)。実業重視、現場重視は正しいし、ムダを廃止し、生産の効率を上げる。是も正論だ。昭和の後半は、労使協調、生産性向上運動を通じて日本は経済大国になった。娘を売らなければ食べていけない時代からは脱却した。しかし本当に豊かになったのだろうか。経済の右肩上がりの時代、実業としての生産者の権利を不問にしてやってきたそのツケを、今、突きつけられている。今更金次郎ではないと言う気がしてすんなりと腑に落ちないのだ。
二宮金次郎公演のホームページは

http://www.justmystage.com/home/nakanumasho/