随 想(思いつくまま)

(1/2) 「永遠の0〈ゼロ〉」を読む
 中学校で数学教師をしている娘の書架から借りて帰った一冊である。数字のゼロを発見したのはインド(人)である。その種の本かと思って借りて帰ったが、内容は零戦パイロットの生き様を通じて戦争の実態、日本軍隊の組織、思想に迫った本であった。

 26歳の青年がパイロットだったという祖父がどんな人物であったかを訪ね歩く中で、「彼は軍一番の臆病者だった」「極めて技術優秀なパイロットだった」「あの人のおかげで今こうして生きている」などいろいろの思い出話を聞く。「命を大切にする」思想は臆病、卑怯の裏返しであり、許されないのが日本軍隊という組織だったのだ。太平洋戦争戦史の復習、最後のどんでん返しは興味深いがここではふれない。

 本から脱線するが、戦闘機に関して私が今まで出会った3人について書く。一人は戦闘機パイロットで、戦後は独身寮の管理人としてお世話になった同郷のMさん。彼から聞いた空中戦の模様は本書の内容さながらで、度胸と一瞬の決断力、そして「運」だという。そして飛行機に乗った最初は誰でも恐怖で敵が撃ってくるとつい同僚の後ろに隠れるやつがいる。「あいつは俺を弾よけにしあがった」という評価から逃れられないと話が印象深く残っている。
 二人目は四国遍路の途中で、缶コーヒーや新聞切り抜きのお接待を受けた、自称元少年飛行兵のAさん。飛行服の眼鏡の後が目の周りに焼きついた風貌で、亡くなった戦友の供養替わりにお接待をしているということだった。頂いた年賀状にはその1年に出会ったお遍路の人数と一句が添えられていた。
 3人目は町内のTさん。Tさんの庭にはツゲの木のトピアリー「戦闘機隼」がある。そのいわれは、Tさんが千葉の飛行機整備工場で働いていた時、偶然の理由からTさんの身代わりになり帰らぬ人となった同僚の鎮魂碑だという。

 軍隊の中でも特にパイロットは常に死と隣合わせだった。本書の主人公も結局、最期は特攻隊として死亡するのだが、日本軍隊の参謀など上層部は如何に兵卒の命を粗末にしたか、あまたある事例が紹介される。

 またまた脱線するが、ここ武蔵野市は中島飛行機武蔵野工場があったところで本邦最初の空襲があった土地である。武蔵野工場では飛行機の各種エンジンを製造していた。中島飛行機関連の図書を読んだことがある。それによると技術者が如何にパイロットの要望(たとえば急上昇、急旋回できるよう)を聞き、寝る暇を惜しんで設計図を書き、ひとつ一つ実現していったかが語られている。戦争はまさに国挙げての総力戦、そして一時期「零戦」は世界に誇る優秀な飛行機で敵から恐れられた存在だったのだ。ちなみの{0」は皇紀紀元2600年(昭和15年)開発から命名なれた名前である。

 戦後65年、日本は戦争がなかったという意味で平和である。今の教育現場は本書を課題図書として取り上げ、クラスで話し合うことが許される状況にあるのだろうか。娘に今度会ったときに聞いてみようと思った。

  永遠の0〈ゼロ〉 百田尚樹著 講談社文庫