随 想(思いつくまま)

(1/18) 隠れ新撰組の弁
 新撰組と私
 大河ドラマ新撰組が始まった。
 野川公園の入り口前には近藤勇の生家跡があり、近くの龍源寺には彼の墓がある。野川公園は我が家から直線距離にして約6k、一輪車仲間O氏のホームグランドであり、時々いっしょに練習する場所でもある。また、土方歳三については数年前、多摩八十八ケ所を巡礼した際、石田寺(せきでんじ、86番札所、日野市)で彼の墓に出くわし、また、テレビCMのロケで函館に行った際、図らずも終焉の地を訪れた。私も隠れ新撰組の一人かもしれない。
 今何故新撰組か
 幕末という激動の時代に、多摩の農民出身の若者が憂国の志を胸に、短い生涯を終えた。彼らは幕府のために誠を尽くしながら、最終的には幕府からも見捨てられ、目的を見失い自壊した。当時はテロ横行の時代である。”人斬り半次郎”始めプロの刺客が暗躍した時代である。誤解をを恐れず言うならば新撰組はテロ集団である。彼らは農民出身とは言え、武士以上に武士の志を持ち、幕府を支えようとした。しかし大きな時代の波に飲まれて行く。テロはテロを呼び、志とは無縁なところで堕落して行く(ベトナム聖戦然り、イラク聖戦然り)。
 テレビは斬られる側をこれでもかこれでもかと憎たらしく描くであろう。志どおりに進展しない情勢に同情し、知らず知らずのうちにテロの成功を祈り、テロを容認する。そんなドラマにならないことを祈る。今世界にテロの嵐が吹き荒れているだけに。