随 想(思いつくまま)

(1/10) 昨年の読書から
 本は図書館で
 最近は本を殆ど買わない。もっぱら図書館利用である。或る個人が年間に借りた本のリストを出力してもらえないかと図書館に尋ねたところ、まさにプライバシーに拘わる情報そのものであり、そういう要望には応えられない、そもそも本が返却された時点でそういうデータは残らない仕組みになっているとのことであった(半信半疑ながら、マルクス主義の本を持っていただけで、刑務所行きとなった時代を知っているだけに、ちょっと安心もした)。
 戦争にこだわる
 記憶に残ったものを拾ってみよう。天皇の戦争責任を再読した。無責任社会の根源は彼に端を発していることを改めて思う。BC級戦争からは理不尽な死を遂げた大勢の人がいたことを知った。例えばゴボウの献立を木の根を食べさせられたいう捕虜の主張が通り、捕虜虐待の罪で死刑となった者など。そのほかシベリアの生と死帰らなかった日本兵海を渡った日本語南方徴用作家などが印象に残った。
 職人芸の魅力
 玉川の源流を訪ねるツアーでそば打ちを体験した。ならば自家でもと挑戦してみた。その時読んだのがそばしょくにんのこころえである。そばが客の食膳に登るまで、いくたの分業を経る。例えば釜前は火の焚き方については、湯が満遍なく流れ、そのスピードが早からず遅からず回るには、釜のどの辺をどのぐらいの強弱をつけて焚くかを体で覚えなくてはならないなど。蕎麦に限らず職人の技には人を魅了する何物かがある。そば打ちの方は数回試みたが未だに合格点が出ない。
 アメリカについて
 世界の警察国家として傍若無人に振舞っているアメリカについて、どれだけ知っているか。目に留まったのが実験国家アメリカの履歴書である。千古の歴史を有する国々は過去の文明の上に悠久の時が流れているのに対し、建国間もない国アメリカは活火山のようにエネルギーを放出している最中である。世界がその試行錯誤のとばっちりを受けているようである。
 ゴンザとヘルン
 船が嵐に会い漂流の末、異国で暮らした人としては大黒屋光太夫が有名である。彼が帰国する五十年も前にすでに異国で暮らし、新スラヴ日本語辞典を編纂した人がいたことをゴンザ望郷の海で知った。ゴンザは薩摩出身、著者は鹿児島図書館長徳永健生とある。地味な草の根を分けての研究に頭が下がった。逆に日本に滞在し日本を世界に紹介した小泉八雲について、日本での足跡については多少の知識があったが、さまよえる魂は彼の生立ちから国々の遍歴に至る全生涯を対象とした研究であり、目からウロコであった。
 作家小田実について
 借りる本の殆どが小説であり、読後感も記録していないので、いざ年間回顧となるとおぼろげなる記憶だけで、まして書評など書けない。年明けてから読んだ物では小田実「タダのひと」の思想と文学が面白かった。小田実はもっと注目されて然るべき作家であるとの思いがあっただけに我が意を得たりと思った。